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2009年12月24日木曜日

ヨーロッパの中のオランダ:最大多数の最大幸福に高い税は欠かせない?? (その1)

 高い税金は高い文明を実現するために必要なもの、そして、それを実現しているのはスカンジナビアの国々と、オランダ、そういう興味深い結果を示すレポートが今月、オランダのシンクタンク『経済政策分析局〈CPB〉』から出されている。(Hoe beschaafd is Nederland? Een fiscale kosten-batenanalyse, Sijbren Cnossen, CPB2009)

 この調査研究のきっかけは、次のような問いにある。

  • 高い税金圧力は、文明を押し上げるために必要なものなのか、つまり、ベンサムに代表される功利主義者の言うところの、<最大多数の最大幸福>にとって必要なものなのか?
  • 高い税金圧力のある国の人々の幸福は、低い税金圧力の国よりも大きいのか?
  • 人々の幸福のレベルは経済的な繁栄を犠牲にするのではないのか?
  • 比較的高い福祉のレベルと比較的高い繁栄のレベルとを組み合わせることは、どの程度持続性のあるものなのか?
 実に時代にかなった、しかも、おそらく今、多くの日本人にとっても興味の尽きない、わくわくする問いかけではある。

 この問いに答えを求めるために、この調査では、調査者の国であるオランダを中心に据えながら、ヨーロッパの国々を、4つの社会経済モデルに分類している。この分類もまた、ヨーロッパの国々を理解する枠組みとしてはなかなかに面白い。分類の基準は、

  1. ひとりで生活することができない人の面倒をみるのは誰か?
  2. 雇用慣行と企業の制度は?
  3. 市場での所得は税によってどれほど調整されているか? 

    4つのモデルとは以下のものだ。
  1. スカンジナヴィア・モデル(政府主導型モデル):スウェーデン、ノルウェイ、フィンランド、デンマーク
    平等の概念を強調し、集団的な決定様式とユニバーサルな社会的施設・設備に特徴づけられる。
  2. 大陸・モデル(コーポラティズムあるいはライン諸国モデル):ドイツ、フランス、オーストリア、ベルギー
    業種集団を基礎として、それぞれ独自が供給する施設・設備によって組織される。達成された生活水準の維持を目指す
  3. 地中海・モデル(家族志向型モデル):イタリア、スペイン、ギリシャ、ポルトガル
    いまだに、古い、農耕社会的、温情主義的な、庇護と隷属の文化の後をたどることができ、家族以外には、ほとんど明確な社会的なセーフティネットがない。
  4. アングロサクソン・モデル(市場モデル):イギリス、アイルランド
    市場依存、集団的な施設・設備には限界があり、主として、貧困撲滅に力を入れる

 この分類を見ただけでも、ああ、なるほど、とヨーロッパの地域的な特徴が顕著に見えてくる。

 4つのグループの税金圧力、すなわち、国民総所得に占める税金の割合は、スカンジナヴィアモデルの平均が46%、大陸モデルの平均が42%、地中海モデルの平均が37%、アングロサクソンモデルの平均が34%で、オランダは、39%だった。

 調査結果のサマリーとしてまとめられた点は、以下の通りだ。

不平等について
 まず、3年以上所得が貧困ラインを割る継続する頑迷な貧困は、オランダは全人口中わずかに1.3%で、4つのモデルで一番低かったスカンジナヴィアモデルの平均2.3%を大きく下回り最低。(最も高かったのはアングロサクソンモデルの6.8%)、65歳以上の高齢者の中に占める割合も1,3%で最低だった(スカンジナビアモデル7.2%、大陸モデル7.0%、地中海モデル11.7%、アングロサクソンモデル15.1%)。ただし、子どもの貧困の割合が9%とスカンジナビアの4%に比べるとやや高い。これは、主として、片親世帯で、しかも親が働いていないケースが多いことによる(地中海モデル14%、アングロサクソンモデル12%)。

 不平等への意識を測る指標は、国内だけではなく、国外の貧困に対する態度からも得られる。オランダは、昔から、開発援助協力への拠出額が高いことで知られる。国連が目標額として定めている、国民一人当たり国内総生産の0.7%を達成している数少ない国だ。常に、0.8%を超えている。この調査でも、開発コミット目っと院でクスで、オランダは、10点満点の6.7点と、最高点を示した。これに続く高い得点は、フィンランドを除く北欧3国(スウェーデン、ノルウェイ、デンマーク)にみられた。

 不平等を測るもう一つの指標は、女性の解放度だが、グローバル・ジェンダー・インデックスによると、オランダは、ジェンダー間の平等に関しては、11位で、スカンジナビアの国々に比べるとやや劣る。しかしながら、他の3つのモデルの平均に比べるといずれよりも解放度は高い。これは、オランダの場合、ワークシェアリングの浸透によって、労働市場にパートタイムとして就労している女性の数は比較的多いが、男性と肩を並べて、管理職等の指導的な地位に就く女性の割合が比較的少ないことに起因している。

健康管理と教育
 オランダの健康管理ケアはよく組織されており、しかもそれほど高額ではない。収入の約1割が健康管理のために支払われる。ヨーロッパ全体として、平均寿命に大きな差はないが、オランダでは、出生時における子供の死亡率がかなり高いことが目立つ。

 教育については、オランダは、スカンジナビアの国々次いで、高い成績を示している。特に、PISA学力調査では、ヨーロッパでは、フィンランドに次いで、高い水準を達成した。
 しかし、就学前保育や子どもに対するケアに対する公的資金の支出は、スカンジナビアの国々に比べると劣っている。

(この項続く)

2009年12月23日水曜日

14才のセイラー:親権と子どもの自立

 今年の夏以来、オランダのニュースに時々登場しては社会に議論を醸し出しているラウラ・デッカー。両親の船の上で生まれ、生来のセイラー(ウー)マンとして育った14才のオランダ人少女だ。
 昨夏、13歳だったラウラは、単独で世界一周航海をすると決め、本人も熟練した航海経験のある父親は、彼女に同意して、学校に長期欠席の申し出を入れた。もちろん、就学義務の履行に厳しい学校はこの依頼を受け入れられなかった。いずれにせよ、ラウラの野望は、史上初の最年少世界一周航行を果たすことだ。訓練は十分、スポンサー初め、支援グループの準備も怠りなく、というところであったらしい。

 しかし、オランダの裁判所は、未成年のラウラが単独で公開することに対して、不許可の結論を出した。理由は、成長期にあるラウラにとって、精神的にも肉体的にも極限の状況に一人で立ち向かわなくてはならない可能性のある単独航海は、将来、取り返しのつかない危害をもたらす可能性がある、というものだ。その結果、ラウラの行動は、以後、ユトレヒトの青少年保護組織の管理下に置かれることになった。

 ラウラの単独航海に、宣伝効果を期待して申し出たスポンサーは少なくない。そんな中で出されたオランダの司法権の決定は、基本的に、未成年者に対する公的保護の立場からのものだった。宣伝収入をもくろんでいたスポンサーには落胆の結果であったことだろう。

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 子どもの教育(成長)の第1義的責任は親権者にある。しかし、その親権者が、子どもの健全な発育を保護しない、あるいはできない状況にある場合には、公的機関が子どもの発達の権利を守らなくてはならない。この原則が、ラウラをめぐる一連の議論に流れる考え方であった。そして、この原則自身には何の誤りもない。
 しかし、親の判断をどこまで認めるか、それに対して、公的機関が、いつ踏み込むべきか、その境界線を引くことは難しい。いずれの判断も、最終的には、現行の法に照らすしかないわけであるが、それでも、法の適用基準は、司法官や関係の専門家に任されることで、今回のような例では、議論が噴出しかねない。議論の行方によっては、将来、法が修正される可能性だってある。

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 スポンサーや野次馬の大きな期待をよそに、16歳までは、単独航海は認められないとの結論を受けたラウラと父親。これで事態は一件落着だったはずが、先週になって、今度は、ラウラが行方不明となり、父親が警察に届け出て、数日後、カリブ海のオランダ領シント・マーティンで見つかるというニュースが流れた。ラウラがどうやってその島まで来ていたのかについては、詳しいことは報道されていない。しかし、8月以来、青少年保護機関の監督下にあったはずのラウラが行方不明になったことで、ラウラの両親よりも、公的な機関の方が、いくらか慌てふためいている感じはある。ラウラの保護責任を持っていたはずが、保護できていなかったからだ。結局、担当機関であるユトレヒトの青少年保護ビューローは、来年の7月まで、ラウラを、現在同居している父親から引き離し、しかるべき保護機関のもとで監督する、という結論をだした。

 もちろん、この結果にはまたもや議論がおこり始めている。ラウラはもとより、父親も納得しない。昨日の新聞には、今回の結論にラウラは「打ちのめされている」と告げる手紙が、ラウラの祖父母から送られてきた、とも報道されている。

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 世の中には、中毒患者、犯罪人、児童虐待など、子どもの健全な成長を見守ることができない親が実際に存在する。そういう親に代わって、子どもの発育を保護するのは、国や社会の役割であることには間違いはない。だが、今回の場合、父親は、ラウラの航海技術を育て、見守り、そして、本人の野心を果たしてやろうと支援したまでだ。それが、子どもの成長の障害になるという判断をつけるのは難しい。
 確かに、子どもの就学を義務付けられているのは父親だ。世界航海のために、学校に長期欠席届けを出した父親には、この義務に対する不履行という問題がある。これとても、果たして、学校が子どもの成長に最善の場であるのか、と議論する親がいないわけではなく、ここでも、親権と社会の保護義務の間には軋みがある。



 オランダの教育や子育てを、外から眺めている私の目には、さらに、もう一つ、気になることがある。
 
 現在のオランダ社会の子育ては、とにかく、子どもたちを一日も早く『自立』させることにある。それは、親の意識としても、社会の制度としてもそうだ。ラウラの場合、その意味では、オランダ社会の子育ての、突出した典型例であったとも言えなくもない。本人も、親も、ともに、ラウラの自立に向けて今日まで来たのだろうし、それをとやかく言う人も、おそらくいなかったのではないか。それが、突然にして、『成長に対する身体的、精神的な危害』などと理由づけられ、これまで、知らん顔だった公的な組織が、自身ではもうすっかり精神的には自立を遂げたと思っているラウラに、『保護』を申し出てくる、というのもどんなものか。ラウラにも父親にも、何か、偽善的で取ってつけた温情に見えるのではないか。そもそも、自立などというものは、18歳という年齢がくれば、みんな同様に果たされるというものなのか、、

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 ラウラをめぐる一連の議論は、親権と、未成年者に対する社会(国家)の責任の関係、さらには、子どもの自立とそれを見守る社会の関係、など、日本においても議論されるべきいろいろなものを問いかけているように思う。

 (公立)学校という場が、いじめや校内暴力という、それこそ、子どもの発育にとって危害にあふれた場になってしまった日本。また、子どもに『自立』することよりも、ひたすら社会への同調を強い、子どもや親たちの繰り言、主張を抑え込んできた日本という社会。そんな日本に、『親権とは何か』『自立とは何か』という議論は、今まで、公に真剣に論じられたことがあっただろうか。

 日本だったら、ラウラの事件のような問題が起きたとしたら、いったい、どんな議論になっていたことだろう。ふと、イラクでの日本人人質事件とその後の議論が脳裏に浮かぶ。
 

2009年12月8日火曜日

金融危機後も低い失業率を保つオランダ

 今月5・6日(週末版)のNRCハンデルズブラッド紙の経済面では、昨年の金融危機以後のヨーロッパの労働市場をの実情を伝えるシリーズ記事の第一回目として、オランダの失業の実情が伝えられた。

 その冒頭にくっきりと描かれたグラフには、世界の先進国の失業率〈今年第3四半期分〉が比較されている。それによると、ベルギー7.9%、デンマーク6,2%、ドイツ7.6%、フランス9.8%、アイルランド12.6%、日本5.5%、ポーランド8.1%、ポルトガル9.9%、スペイン18.7%、イギリス7.7%、アメリカ合衆国9.6%、スウェーデン8.6%、そして、欧州連合平均は7.9%だ。オランダは3.6%で、世界の先進国のどこに比べても、目立って低い。(このグラフは、OECDの統計で、そのため、オランダの統計局CBSが独自の『失業』の定義によって出している5%に比べると低くなっている。) 
 2008年秋の世界同時金融危機発生直前の統計でも、オランダの失業率は、ヨーロッパでもっとも低かった。確か、当時、オランダと最低失業率を争っていたのはデンマークだったが、その後、オランダがほぼ同じレベルの失業率を保ってきたのに対し、デンマークでは倍増しているのが興味深い。

 オランダの失業を抑制している理由は、このシリーズで以前報告したように、パートタイム失業制度がいち早く取り入れられ、大変、功を奏したことがあげられる。また、労働機会の現象をいち早く見てとった若年者が、大学や職業訓練校に長くとどまっていること、また、高等教育機関への入学者が増加していることなど、就職活動を遅らせ、教育を選んだために、失業率が増大していない、という面もある。前者は、オランダ特有の政労使の話し合いによる政策上の効果であり、後者は、授業料が比較的安く、また、高校卒業資格を持つものすべてに開かれた教育機会という制度上の利点であるともいえよう。

 しかし、オランダの失業率の低さには、まだ、もっと根本的な理由があるというのが、この記事の趣旨でもあった。それは、オランダのパートタイム就業文化の浸透である。すなわち、他のほとんどの諸国では、パートタイムによる就業が、フルタイム就業の職種に比べて、いわばランク付けの低い、言い換えれば、専門的な職種には向けられていないのに対し、オランダでは、専門職であれ、パートタイムの就業で、しかも、フルタイムと同じ条件の正規就業として取り扱われることが、今や、当たり前になっているということだ。
 実際、医者でも、校長でも、研究者でも、オランダでは、専門職者が、週に4日しか働いていない、という例を探すのに、まったく苦労することはない。まさに、一つの仕事を2人で分けあう、つまり、フルタイムならば一人分の仕事にしかならないものを、時間で分け合うことによって2人に仕事の機会を与えることになる、という例が掃いて捨てるほとある。

 「いやあ、でも、それでは、パートタイムでしか働けない人は収入が足りないのでは?」と思われるかもしれない。しかし、そうでもなくて、とりわけ、小さい子どものいる夫婦などは、むしろ、自宅にいて育児にかかわれる時間を望んでいる場合が多く、夫婦でお互いにパートタイムで働けることは、家庭生活にかける時間を生み出す歓迎すべき条件なのだ。
 そのうえ、パートタイム就業者が、時間を増減することを解雇の条件にしてはならない、という規則もあるから、労働者が、もっと長い時間働きたいとか、少し短くしたいというような場合、雇用者は、できるだけ柔軟にそれに応じなくてはならない。
 だから、労働者には子どもが大きくなって時間が増えるなど、労働時間を延長したい場合には、そうする可能性が比較的容易に用意されている。

 もっとも、オランダの失業率の低さの背景には、オランダの経済は、金融危機で最も大きな打撃を受けたといわれる製造業への依存度が低く、フォワーディング業に代表されるサービス部門の産業比率が大きいことも理由としてあげられる。また、社会保障制度が、北欧並みに整っているといわれたオランダは、今でも、景気変動の影響を受けにくい、医療、介護、教育など、公共政策部門でのサービス職を多く労働機会として持っていることも理由に挙げられている。
 

2009年10月5日月曜日

ポルダーモデルの危機? ポストグロバリゼーションの時代

 「どうやら、『ポルダーの嵐』が吹き荒れることになりそうだ」
 先月末、オランダのバルケンエンデ首相はこう述べた。

 これは、オランダの社会経済政策策定プロセスとしてよく知られた『ポルダー・モデル』が機能せず、交渉が暗礁に乗り上げた、ということを意味している。
 『ポルダー・モデル』とは、政府・労働者・企業家(政労使)の三者が、お互いの利害を出し合って話し合い、それによって、立場の違うものが、問題状況を広く受け入れ、それぞれが歩み寄って納得できる形で対策を生み出すという独特の仕組みのことを言っている。そのため、オランダの「ポルダー・モデル」は「協議(overleg)経済」とも呼ばれる。
 
 『ポルダーモデル』は、戦災からの早い復帰を目指して、労使が歩み寄り、ともに解決策に乗り出そうとした、第2次世界大戦後まもなく生まれたものである。はじめに、労働者組合の代表と企業代表から成る民間の組織STARができ、それから、これに、政府が第3者として加わって話し合いを進める公的機関SERができて、制度的な形を整えた。

 『ポルダーモデル』の成功例として有名なのが、1982年の「ワッセナーの合意」であり、それは、このオランダ通信でも何回も触れてきた、パートタイム就業の正規化、すなわち、ワークシェアリングを実現させた施策だった。また、その後に再び起きた経済危機に対抗して、90年代の政策返還を生んだのも、この『ポルダーモデル』の仕組みがあったからといわれる。

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 さて、今回『ポルダーの嵐』といわれている事態とは、具体的に何のことか?

 それは、AOW(国民年金受給年齢)の引き上げ、に関するものだ。

 昨年秋の金融危機を受けて、今年の3月、オランダ政府は、金融危機緊急経済回復プランを話し合った。(本ブログで報告:http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/03/blog-post.html
 政府のプランは具体性や効果の見通しを欠くとして、野党からは強い批判を受けたが、その際に、現政府は、AOWの受給年齢を、現行の65歳から67歳に引き上げることによって、40億ユーロ(日本円にしておよそ5200億円)の国庫削減を生み出すとの案を提示した。
 これに対して、労働組合側は強い反対を示し、その結果、今月1日を最終締め切り日として、労使間の話し合いによって、対案を出すということで決着していた。

 このように、オランダでは、政府の案に対して、企業や労働者からの反対がある場合、国会の議員たちが、その意向を代表して協議するのではなく、その前に、企業家代表と労働者の代表とが、国が指定した独立の立場の参加者とともに直接に協議し、3者の相互理解を深め(「浮揚面」を生み出す、という表現が使われる)、その上で、対案を出す機会が設けられる。これが、『ポルダーモデル』なのだ。
 そうすることによって、社会内で広く問題を共有することができ、政府がその話し合いの結果をうけて、無理のない政策を実行できるので、政策に対する有権者の関与、特に、立場や利害の異なる、労使相互が責任と自覚をもって政策に関与できるという仕組みになっている。

 労働者代表と企業代表とは「社会パートナー」という言葉で呼ばれることもある。
 『ポルダーモデル』=「協議経済」は、政労使の協議による社会経済政策策定プロセスであると言われる所以だ。一方では、経済発展・維持モデルであるとともに、そのために、労働者が満足のできる形を求めるという点では、社会(福祉)政策モデルでもある。

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 AOWについてのポルダーモデルによる協議はなぜ決裂したのか?

 労働組合代表は、企業家代表との話し合いにおいて、「フレキシブルAOW制度」の導入という対案を提案した。
 これは、現行の65歳からのAOW受給に対して、労働者一人一人が、退職年齢を65歳から70歳までの間、自分で選択でき、長く勤務して退職するほど、AOWの額も増える、という制度である。この制度を導入することで、労働者は、退職年齢を自分で決められ、また、それによって、政府案と同じおよそ40億ユーロの節減が可能になる、との案だった。

 この案に対して、実を言うと、労働組合代表は、与野党のいずれからもあまり大きな支持を得ることができなかった。
 まず、野党のうち、組合運動とは対極にある極右政党PVVは、移民労働者の福祉資金への国庫支出が莫大であることを理由に、移民排斥を唱えている立場なので、本来オランダ人労働者が受けるべき福祉として、65歳というラインを維持したいという立場である。また、左派の社会党(SP)は、労働組合の、政府案への歩み寄りを批判して、65歳ラインの維持を訴えている。
 また、社民派リベラル政党である「民主66党」は、フレキシブルAOW制度は、あいまいで煩雑な制度だとして、対案として有効ではない、政府案の実施を好まないのであれば、両者が歩み寄れる妥当なあんを出すべきだ、という立場をとっている。

 このような野党のコメントに見られるように、労働組合が提出した対案には支持が少ない。しかも、この労働組合代表による対案は、企業家からは全く相手にされず、結局、企業家代表側は、「2025年からのAOW受給年齢67歳までの一斉引上げ」案で応じた。この案であれば、現在50歳以上の労働者に、67歳引き上げは適用されないことになる。
 だが、労働組合側は、重労働就職者の早期退職の可能性を残すべきであるとして応じなかった。

 結局、政労使が『ポルダーモデル』によって対案を生み出すはずのSERでの話し合いは物別れに終わり、約束の10月1日までの対案提出は実現しなかった。

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 物別れに終わった協議を受けて、バルケンエンデ首相、ボス副首相・財務相、ドナー社会事象・労働機会相らは、次々に、「遺憾」を表明。代案提出のチャンスが生かされなかったのなら、当初の約束通りに、政府案の法制化と実施に取り組む以外にはない、という結論となった。
 労使交渉に対する時間的猶予の提供、不成功への遺憾表明、などは、強行議決を避けるためにとるプロセスであると言っても過言ではない。

 政府案によれば、向こう24か月の間、毎月、AOW受給年齢を1カ月ずつ引き上げて、最終的に、2年後には、年金受給年齢が、全体として67歳にまで引き上げられる、というものだ。

 労働組合側が出した「フレキシブルAOW制度」に比べても、企業者側が出した「2025年67歳一斉引上げ」に比べても、もっとも早急で厳しい対策だ。
 

 バルケンエンデ首相が、『ポルダーの嵐』を予想したのは、いずれにしても、政府案の実施に対しては、前述の野党らが、反対議論をしようと手ぐすね引いて待っている、というものだ。

 労使交渉も決裂、議会でも与野党が対立すれば、この国は、ポルダーの連帯どころか、国内の分極の相を増していく。それを「嵐」と呼んだのであり、どの首相も、声をそろえて、「遺憾だ」と顔をしかめて見せたというわけだ。

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 物別れとなった労使交渉で不快な屈辱感を味わった組合側は、さっそく、今週水曜日のストライキの実施を決めた。7日水曜日の午前中のラッシュアワー時に、公共交通機関が運行を停止する予定だ。

 オランダは、『ポルダーモデル』があるおかげで、ストライキが比較的少ない国だ、といわれてきた。それだけに、「ストの実施」は、ポルダーの危機そのものを象徴している。

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 ところで、このAOW(一般老齢年金)だが、これは、日本の国民年金に相当するもので、満65歳になるすべての人が、同額の年金を支給されるものだ。その意味で、現在日本でもよく議論されているベーシック・インカムの一つの型であるといわれている。

 だが普通、多くの労働者は、雇用者との契約によって、企業ごと、あるいは、業種別に、年金基金に積み立てていく方式で、独自に年金受給を準備している。したがって、こうして積み立てた年金を利用したり、貯金や投資収益を利用すれば、国民年金の受給年齢まで待っていなくても退職して暮らしていける、というケースがかなりある。
 ましてや、ワークシェアリングの導入で、「会社で働くことだけが人生じゃあない」と堂々と言ってのけることのできるオランダだ。実際、55-65歳の就業率は半数ほどにしか満たない、という。」
 今回のAOW67歳引き上げ議論とともに問題になっていたのは、高齢化社会の中で、どうしたら労働者の退職年齢を長く引き延ばせるか、つまり、どれだけ多くの労働者をAOW受給年齢まで職場に引きとめるか、ということでもあった。

 日本の企業のように年功序列や終身雇用という慣行がなく、しかも、「差別廃止」原則によって、男女、性指向性(同性愛者など)、人種などによる差別とともに、年齢による差別をも禁じているオランダだ。年功が長いとか、経験年数が長いというようなことは、職務について、ほとんど積極的評価として受け止められることはない。むしろ、高年齢の労働者は、さまざまの面で、職務効率が劣るという評価もあり、企業や組織でも高年齢者の勤続にはあまり積極的ではない、というのが実態だ。早期退職者が多いのには、そういう背景もある。

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 現代の多くの先進諸国では、高齢化のために、人々の勤続年数を引き上げて、退職者を減らすべきだという議論がある一方、金融危機で効率化を図らざるを得ず、生産効率の悪い高齢労働者をあまり歓迎しない、という相反する状況もある。

 企業グロバリゼーションの時代は、高齢化社会と高度福祉制度の両立をどう図るか、という各国内の社会政策上の問題を越えて、大企業の多国籍化とそれによる貧富の差の拡大を生んだ。程度の差こそあれ、それは、多くの先進諸国で共通の問題だった。
 しかし、金融危機によって、市場原理一辺倒の制度が持つ大きな限界がだれの目にも明らかとなり、一方では、金融機関をはじめとする企業の無制限の暴走を監督する必要性に迫られ、他方では、生み出された貧富の格差を、福祉によって是正しなくてはならない、という課題が新たに生まれている。

 高齢化社会における就業の形、年金などの福祉制度をめぐっては、もっと広い視野で、市民のライフスタイル、育児やNPO活動など<金銭的な支払い>がなくても、安定した社会の維持のために必要な人々の活動を、どう社会全体の仕組みとして組み込んでいくか、ということまでを含む議論が必要になっているのではないのか?

 これまで、高度福祉社会と自由市場原理経済の二つを両立させながら、さまざまの斬新な施策を生んで、なんとか幸福度の高い社会を築いてきたのがオランダの『ポルダーモデル』だった。

 今回の労使間の物別れに象徴される『ポルダーモデル』の行き詰まりは、なにか、福祉国家と市場経済に、大きな転換を迫るものとなるような気がする。

2009年9月5日土曜日

オランダの政党政治 その3 有権者の政治参加意識を高める仕組み

 オランダの選挙運動にカネがかからない理由を、仮説的に、いくつかあげることができる。これは、選挙に対する関心の高さの理由と置き換えてもいいと思う。実際、オランダの衆院選は、ほぼ一貫して、80%に達している。政治に対するこれだけ高い関心は、個々の立候補者の選挙キャンペーンによって生まれているのではない。

1.マスメディアの公平さ

2.若年有権者に対する積極的な政治教育活動

3.1票の価値を等価とする多党連立政権への信頼

 すでに、この「オランダ通信」(バックナンバー)のほか、さまざまのところで触れているが、オランダのマスメディアには多元主義的な公平さがある。

 もともと、19世紀から1960年代初頭までのオランダ社会は、「縦割り(柱状)社会」と呼ばれてきた。
 主として、(ローマ法王を頂点に国内でも中央集権的な組織が固い)カトリック集団、(細かくいえばさらにさまざまの宗派に分かれる)プロテスタント集団、(キリスト教宗派主義に対抗してきた、古くは、啓蒙主義、ひいてはフランス革命に端を発する)リベラリスト集団、そして、(19世紀末にリベラリストから派生してきた)社会主義者集団の4つだ。どれ一つをとっても過半数を得られないマイノリティ集団である。
 これらのグループは、それぞれ、新聞社を持ち、その系統の学校や病院、学生クラブを持ち、オランダ人のほとんどは、生まれた時にいずれかの集団に属し、その中で成長していく傾向がとても強かった。
 つまり、オランダ人は、生まれた家庭がカトリックの家庭であれば、その系統の新聞を購読している親のもとで、カトリック系の保育園から小学校、中学へと進み、大学に進学したら、その系統の学生クラブに入る、という一つのパターンがあった。

 だから、1950年代にテレビが普及し始めた時、オランダの公営放送は、こうした、マイノリティ集団の系統ごとに作られたNPO放送協会に、電波を利用して、おのおのの立場から作られた番組を発信することを認めたのだった(これらのNPO団体は、いずれも、それに先立つ、ラジオ放送協会が母体にあった)。

 オランダの政党もまた、伝統的な大政党は皆、もとはと言えば、この系統に基づいて結党されている。

 CDA(キリスト教民主連盟)は、プロテスタント系のARP(反革命主義政党)とCHU(キリスト教歴史主義党)、そして、長くこれらのプロテスタントとは対立していたカトリック系のKVP が、1980年、人々の教会離れと柱状社会の崩壊の中で、キリスト教民主主義をもとにやむなく合併して生まれた政党だ。
 そして非宗派系政党は、リベラル派のVVD(自由民主党)と社会主義系のPvdA(労働党)に分かれている。

 会員数が多く、したがって、電波利用の時間数の長い大きな放送協会には、いまも、カトリック系、プロテスタント系、リベラル系、労働党系のものがある。

 こうした、もとはと言えば柱状社会の系列に従って作られた公営放送の仕組みのために、オランダのテレビは、マイノリティの声を公平に伝えるものになっている。公営放送の資金は、各放送団体の会員が支払う会費と、国の補助金、また、STERという独立の組織が獲得するスポンサー資金を公平に配分して行われる。

 こういう仕組みがあるため(そして、小国であるために公営放送の資金そのものがあまり多額ではないためもあって)、オランダの公営放送で放送される番組は、予算が余りかからない、政治討論番組、ドキュメンタリーなどが非常に多い。そして、それを通じて、それぞれの団体は、おのおのの立場で、社会問題を分析し、公に伝えることができる。

 日本では、選挙公示とともに、各地で立候補者らがマイクとスピーカーを持って街頭演説を始めるが、オランダには街頭演説の光景はほとんど見られない。街頭で見られる選挙キャンペーンといえば、青年部の党員か、おそらくはアルバイト要員であろうと思われる学生たちが、政党のロゴとスローガンが刷られた葉書大のビラを通行人に配っているくらいのものだ。

 つまり、オランダでは、わざわざ選挙だからと言って街頭で大声を上げなくても、日ごろから、公営放送で、十二分な政治議論が展開されているというわけなのだ。

 同じことは、政党に義務付けられた、政治問題研究や青少年を対象とした政治教育にも言える。政党交付金の使途目的に指定されたこれらの活動は、有権者が、各政党の政治的立場の違いに、明確なデータを持って触れられる機会を提供している。

 青少年の政治意識、投票率の低さは、どの国でも悩みの種だ。オランダの若者たちも、中高年に比べると政治意識が低いといわれる。(もっとも、現在のオランダの60才台70才台の人たちは、1960年代に若者の政治意識が高揚した時に20才台30才台だった人たちだ)そういう若者に対しての働きかけは積極的だ。大きな政党はどこも、12歳から30歳くらいの年代を対象にした、青年部を作り、政治参加意欲の向上を目指した活動をしている。


 もっとも、街頭演説がないのには、もう一つの理由がある。
 それは、選挙区制がないからだ(その1、その2に詳しく説明)。
 日本やアメリカにある選挙区制は、立候補者の一騎打ちだから、縄張り争いの原因となる。立候補者が地元有権者にどれだけ人気があるかが決め手だ。そのためには、立候補者が有権者と直接に対面し、生の声を聞かせる機会を設けた方がずっと有利になる。立候補者個人のイメージ作り、大衆的な人気が票数の決め手になりやすい。
 比例代表制の決め手は、政党の立場一つだから、個人候補者のイメージ作りはしてもあまり意味がない。イメージ作りが有効なのは、際立った社会問題に切り込んで大衆の人気を集め、新生小政党が乗り込んでいく場合だけだ。

 また、比例代表制に基づく多党連立制は、2大政党交代制に比べて、政策の継続性が大変高い。
 それは、アメリカやイギリスに代表される2大政党交代制と、ヨーロッパ大陸側に多くみられる多党連立制の違いにはっきり見られる。

 2大政党制は、政権が交代するたびに、前政権が取り組み始めた政策が挫折する可能性が非常に高いのだ。アメリカなどでは、そのたびに大使や外交官などまでを含む官僚がごっそり入れ替わる。それは、長い時間をかけ値ければできない改革がやりにくいと同時に、有権者の間に分極を生みやすい。また、こうした無駄と挫折が続けば、有権者自身の政治参加意識も低下すると予測される。

 連立多党制の場合、政権が代わっても、いずれかの政党がパートナーを変えて政権に残る場合が多いので、一定の政策の維持が期待できる。また、政策は、常に、一党の立場が推し進められるのではなく、他党の協議の結果として生まれるものなので、基本的に、微調整をしながら、継続していく可能性が高い。そういう経過を、新聞やテレビなどのマスメディアが、オープンに、また、詳細に伝えておくことで、有権者の政治意識もある程度の高さを維持できる。


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 3回にわたって、オランダの比例代表制に基づく多党連立政権の政党政治の姿を伝えてきた。

 オランダが完全な比例代表制を使えるのは、国の規模が小さいからだ。地方の利害が、中央政府からそれほど遠くない。また、さまざまの機能を首都に集権化させていないというオランダ特有の事情もある。

 だから、日本を比例代表制にせよ、との議論は、非現実的であるのはわかる。
 けれども、今のように、細分化された小選挙区制が本当に必要なのか。衆議院の480議席のうちに、300議席もの多数を選挙区多数決制で決める仕組みが、本当に、有権者の意思を正確に反映しているものなのかどうか、はもっと議論されていいと思う。

 今回の衆院選は、諸外国のニュースに見られる反応、日本通といわれる外国人の反応を見ていても、日本人が自覚しているのと同じように、あるいは、それ以上に、明治以後の日本の政治史の中で特記すべき事態だとの評価が高い。
 一党支配の多いアジアの中で、今回の日本政治の前進が、今後世界に対してどんな波及効果を与えるものか、先進諸国は固唾を飲んで見守っている、ともいえる。
 そして、それは、世界中に前例のない、日本が初めて取り組む近代化の形でもある。

 これからの行方を決めるのは、日本のわたしたち有権者らが、ひとりひとり積極的に参加する政治議論である、そう思う。




 

オランダの政党政治 その2 政治資金について

 ところで、オランダの選挙運動は世界で最も安い選挙運動に属しているのだそうだ。

 2003年の選挙運動支出として報告された額は、政権の最大与党CDA(キリスト教民主連盟)が85万ユーロ(日本円にして約1億1300万円)、野党最大のSP(社会党)でも100万ユーロ(約1億3400万円)だった。

 政治資金の使途表示を義務付けられていない日本の政党の場合、各政党がどれほど選挙運動に支出しているのかについてのデータを取得するのは容易ではない。
 だが、政党収入は、2002年、最大与党であった「自民党」の場合、約230億円に上っており、満期4年で換算すれば、およそ1兆円だ。支出の内訳はわからないが、政党資金の大半が選挙キャンペーンに使われること、を考えると、確かに、オランダの選挙運動支出は、日本の政党が扱う資金額に比べて「桁はずれ」に小さい。日本の衆院の議席数480とオランダの第2院の議席数150との違い、また、人口比8対1を考慮に入れたとしても、だ。

 政党の収入減は、ふつう、党員会費、議員給与からの拠出、献金・協賛金、政党内部の留保資金、パーティやバザーなどによるファンドレイジング、国庫からの政党交付金などがある。そして、これらの収入内訳を見てみると、オランダと日本の政党活動の中身の違いが、さらに詳しく見えてくる。

 まず党員会費。
 オランダは、政治資金に占める党員会費の率が約半分で、欧州地域では一般に4分の1といわれていることと比べても際立って高い。日本の場合は、党員会費が政党資金に占める割合は、およそ3-7%の間だ。オランダの方が日本に比べて党員への依存度が高いのは確かだと思われる。それは、一般有権者の、日ごろからの政治意識の高さとも関係があるだろう。
 また、オランダの場合、党員の会費(寄付金)は、慣行として、所得別に会費を決めるようだ。つまり、低所得者の場合は低い会費で党員になれる。

 次に、議員給与からの拠出だが、これは、一般に「政党税」という名でよばれ、議員給与の約10%が徴収されている。ただし、社会党の場合は例外で、議員も党員も、非営利の活動であるということを原則としている社会党は、議員はいったん給与の全額を党に納入し、その後、手当として再配分される仕組みをとっている。また、保守政党であるCDA(キリスト教民主連盟)とVVD(自由民主党)では、「政党税」の制度を取らない代わりに、「献金(寄付)」を認めている。両党の献金資金が占める割合は、それぞれ1%と6%。企業との密着度が高く最も献金収入が多い日本の自民党の15.6%に比べると、大きな差がある。

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 さて、興味深いのは政党交付金だ。

 オランダは、長く政党交付金の支給がなく、政府からの補助は、公営放送の電波利用などに限られていた。しかし、現在では、年間総額およそ1500万ユーロ(約20億円)の政党交付金が支払われている。日本では、国民一人当たり250円が政党交付金として支出されており、年間総額はおよそ320億円、オランダの15倍に上る。

 日本の政党交付金は、50%ずつが、議員数比例配分、得票数比例配分で分けられる。また、使途制限はない。

 他方、オランダの政党交付金は、活動の具体的な内容は問わないが、使途を明示することが義務付けられている。交付金の目的として、①.政治問題研究活動資金、②青少年の政治教育・研修活動、③党員への情報提供、④外国の姉妹政党とのコンタクト維持などで、選挙運動資金へのしようは、最近の改正で認められるようになった。
 また、政党が(憲法で禁止された)「差別」をしている場合には、政党交付金は停止される。(実際に、非常に原理主義的なキリスト教の理念を立場としているSGPの場合、女性党員の被選挙権を認めていないために、交付金が停止されている。)

 また、オランダの政党交付金には、議席の有無にかかわらず、すべての政党に同額に認められた「一般交付金」がある。これは、現在、党当たり年額18万ユーロ(約2400万円)だ。各党に配分される「一般交付金」を差し引いた残額が、「特別交付金」として、議席数比例と党員数(得票数ではない!!!)比例で各党に配分される。

 さらに、この政党交付金は、国が決めた最低額を政治問題研究資金として支出することが義務付けられている。その額は、「一般交付金」のおよそ70%、議席当たりの「特別交付金」のおよそ25%に当たる。現在の額は、前者が約1600万円、校舎1議席当たりの額約170万円に相当する。すなわち、1議席しか持たない政党でも、毎年、1800万円程度の資金が、政治問題研究の資金として受給されていることになる。

(この項続く:有権者の政治参加意識を高める仕組み)
 

2009年9月1日火曜日

オランダの政党政治制度 その1

 オランダの選挙は、1917年の憲法改正以来、選挙区多数決制を廃して、比例代表制一本で行われてきた。(*奇しくも「教育の自由」を実現した憲法改正と同時)

 日本の衆議院に相当するオランダの「第二院」(150議席)は、全国1区の完全比例代表制で選挙される。ドイツにおける「阻止条項」のような、得票数5%未満の足切りがないので、一票の価値は全国津々浦々まったく等価となる。
 参議院に当たる「第1院」の議員は、州議会選挙で選ばれた衆議院の数に比例して、政党が選出するので、<階段>選挙とも呼ばれる。基になる州議会選挙は、これも州ごとの比例代表制だ。参議院議員は、時勢に流されないためにも、閣僚経験者や党指導部経験者など、経験のある各党のベテラン政治家が選出される場合が多い。

 同様に、地方議会(市町村に相当)選挙も、その地方自治体地区ごとの比例代表制で、ついでながら、この場合、その地方に在留する欧州市民にはオランダ市民と同等の選挙権、また、欧州外諸国の市民の場合は、5年間の継続在留歴があれば、選挙権が与えられる。

 さて、オランダが1917年に廃止した、選挙区ごとに多数決で代表者を選ぶ選挙区多数決制には、民主主義の基本である「有権者の意思をよりよく反映しているか」という点で、たしかに問題がいろいろとある。もっとも、選挙区制の利点は、地方の利害を中央政府で論じられる、つまり、議員と地方とのつながりにあるのは否定できない。そうかんがえると、オランダが、あえて選挙区制を完全にに廃止できたのは、小国の利点であった、という点は否めない。

 だが、基本的に、候補者が一騎打ちをする小選挙区多数決制は、大政党には有利だが、少数派の利害を代表する少数政党が当選の機会を得るのには大変障害が多い。平等意識・機会均等意識の高いヨーロッパでは、こうした選挙区制の持つ問題を補う形で、比例代表制を取り入れているケースが多い。

 そんな中でもオランダの制度は最も典型的で純粋な比例代表制である。それは、オランダの議会に、PVV(自由党)、PvdD(動物愛護党)、GL(グリーン左派党)、SGP(国家プロテスタント党)、D66(民主66党)、CU(キリスト教連合)など、小選挙区制であれば、まず、議席獲得は無理、あるいは、非常に少数にとどまったであろうと思われる政党が、国会での議論に参加できることにも関係している。

 かつて、60年代から70年代にかけて若者や知識人らの指導で市民意識や政治意識が高揚した時には、「農民党」や「高齢者等」など、いわゆるワン・イッシュー政党(広範多岐の分野で政治的立場を示すのではなく、特定の政治問題を取り上げて政治議論を展開する政党)が林立し、また、議員を送った時代があった。それは、ほとんど、市民運動が「政党」の冠をかぶったようなものだった。

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 さて、オランダが1917年に廃止した選挙区多数決制には、どんな問題があったのか。 

 ライデン大学の政治学研究者たちが作っているサイト<政治と議会>は、オランダの政治体制について詳しく記述した、学術的で情報豊富なサイトだ。オランダの選挙制度の歴史的な変遷とともに、選挙区多数決制と比例代表制の長所と問題点が列記されている。今サイトの情報をもとにしながら、オランダの比例代表制、日本の選挙区多数決制の持つ問題点なども挙げつつ、両方の制度の違いを下記にまとめてみたい。

 

1.小政党の場合、たとえ全国的に知名度があって、ある程度の数の支持者がいても、議席獲得の機会が非常に少なくなる。なぜなら、選挙区ごとに少ない数の議席をめぐって争うので、どの選挙区でも、小政党の勢力は小さくなるからだ。日本の衆議院選挙の小選挙区は、全国300区の小選挙区に分かれており、各区に1議席ずつの割り当てだから、このことは特に顕著に表れる。

2.1の問題の結果、小政党に投票する意味がほとんどなくなり、小政党を支持している有権者の無力感が増大し、その結果政治への関心が低くなる。それは、たとえば、今回の日本の衆議院議員選挙でもみられた通りで、協力する政党間で、勝率の高い選挙区を分け合うというような事態が起きた場合には特に問題がはっきりする。投票率を下げる原因でもあろう。また、こうした有権者の関心の低さが、さらに、世襲議員など、コネのある議員の蔓延を引き起こす。

3.その結果、大政党が小政党を支配する、また、多数派が少数派を支配するものであるという状況が起こりやすくなる。議会に多数を占める政党は、立案の際に、同意を得るために妥協をする必要がなくなる。施策の決定は早くなるが、より良い法案のために議論をしてすり合わせるというようなプロセスは少なくなり、そのため、社会内の分極化、連立政権内の亀裂も起こりやすい。

4.選挙区の多数決の結果選ばれた議員たちは、選挙後、急激な変革に取り組む可能性が高くなる。しかも、この変革は、次の選挙で政権が交代すると再び撤回される可能性も大きい。lそのため、常に、政治の軌道が大きく変わり、継続性のある施策が実行しにくい。たとえば、ある政権で、企業の国営化が行われても、次の政権で、元に戻されるというようなことが起こりやすく、社会が安定性を欠く結果となる。

5.選挙区の多数決制は、また、立候補者と有権者の間の利害の癒着を生みやすい。立候補者にとって「自分の」選挙区、「自分の」有権者という感情が起こりやすく、有権者である個人や地元有力者、地場産業などとの結びつきが強くなりやすい。それが、世襲問題を含み、コネや不正の原因ともなる。

6.選挙区の住民数に合わせて、選挙区を平等に分けることは容易ではない。つまり、一票の価値が選挙区によって大きく異なる結果となる。

7.さらに、選挙区の境界線の引き方によって、ある政党の議席獲得確率を比較的容易に操作できる。


などなどと問題は尽きない。これらの問題は、日本の小選挙区制の選挙の問題とほぼ重なっていることが分かる。比例代表制には、こういう問題は起こりにくい。

もっとも、選挙区多数決制が、比例代表制に比べて優れている点も否めない。

1.多数決選挙制の選挙は、選挙後だれが支配するかがすぐに明らかになる。これは、国政選挙の場合、政権樹立が非常に早く決まる、という利点がある。これに対して、比例代表制の場合には、過半数を取る政党が出ることはほとんどなく、連立交渉のために、相当な時間を要することになる。選挙区分けがないので、事前に連立協定が結ばれることは少なく、政権樹立までに、数カ月かかることも珍しくない。ベルギーの最近の例では、1年近い期間、交渉が続いた。その間、前政権が暫定政権を維持することになるが、この期間は新しい法案はできないため、事実上、国会は氷結状態になる。

2.多数決選挙制では、有権者が選んだ、政策が実行される可能性が高い。なぜなら、自分が投票する政党が勝てば、その政党が直接に支配する可能性が大きいからである。比例代表制による連立政権では、各政党のマニフェストがそのまま実行されるというよりも、連立を構成している政党間のすり合わせが必要となり、各党の重点項目をめぐって取引が行われる。

3.1と2に関連しているが、多数決選挙制では、政権をとる政党の数は普通少ない。そのために、議会内のプロセスはより明確となる。

(この項、続く。その2:政党資金について、その3:有権者の政治参加意識を高める仕組み)



2009年8月28日金曜日

パートタイムの方が効率がいいのは当たり前???

 某会社の部局で、局長をしている義妹がこういう。数人の部下を使っている。
「そりゃあ、パートタイムの方がずっと仕事効率がいいのは当たり前よ。パートタイムで働く人は、一週間単位で、今日は会社、明日は家事、と計画的に過ごすわけでしょ。今週の仕事はここまでやっておかなくては、という計画性がすごく高い。それに比べてフルタイムは区切りがないから、いつまでたっても予定の仕事が終わらなかったり、翌週回しにしたりということはよくあることよ」

 彼女自身、学校を卒業して以来、ずっと同じ企業の中で、勤務時間数を調整しながらこれまで務めてきた。子どもが生まれると、ゆりかごを抱えて子どもを連れて出勤し、授乳しながら仕事をした。

 子どもたちが小学生の間は、週に三日、手が離れるにつれて仕事量を増やしたが、決してフルタイムでは仕事をしなかった。局長職に就いてからも、週に四日が続いている。家事に以前ほどには手がかからなくなった今は、週末を過ごすテニスクラブの世話をしたり、隣近所の集まりに積極的に出かけたりと、言うならば非営利活動に精を出している。

 管理職になってもフルタイムで働かないオランダ人は多い。私がよくいく小学校でも、校長が週五日まるまる働いているケースはむしろ少数派だ。たいていは、週4日で、週のうちの一日は家事担当、孫の子守、あるいはセカンドジョブとして若手養成のための研修事業団体を自営業で経営している、などだ。どの学校でも、そういう校長不在を埋める校長代行者がいる。

 残業は慣行としてやりたがらないのがオランダ人だ。
 よほど人手不足の企業ならともかく、本当に残業をやらなくてはならないほどの仕事がある会社は新しい人材を雇うだろう。なぜなら、皆、残業をせずに早く家に帰りたいし、仕事だけで疲れ切ってしまうのはごめんだからだ。

 天気の良い夏の昼過ぎなど、我が家のあるハーグ市の路面電車は、どこも、海浜行きの電車が満員になる。一体全体、こんな働き盛りのいい大人たちがどうしてこんなに時間があるのだろう、と感心するほどだ。多分、週一日の休みの日を利用して、家事をさっさと片付け、日ごろありつけない太陽光線を浴びに海浜に行くのだろう。休むこと、くつろぐことに何の罪悪感も感じないこの人たちには感心する。

 ひょっとすると、、、
 日本人が感じなくてはいけないのは、効率を上げているわけでもなく、はたまた家庭を顧みるでもなく、ただだらだらと仕事場にい続けることへの罪悪感なのではないのか、とさえ感じてしまう。

2009年8月22日土曜日

校長職と学校共同体に危機?

 最近、オランダの小学校を訪ねていると、校長職の人材不足と、それに関連しているのか否か、共同体としての学校の危機を感じることが多い。原因は、この数年、以前に比べて校長職にマネジメント能力が強く求められるようになったこと、そして、それが、校長と教職員チームの間で摩擦を生むケースが増えている。

 オランダでは、数年前、ラムサム(補助金一括支給)政策がとられるようになった。

 もともと、オランダの小学校は、国からの補助が潤沢だ。しかも、その額は、公立・私立の別なく平等に支給される。毎年、10月に登録されている生徒数を報告し、その年に決められる一人当たりの国庫教育補助金が、頭数で支給されるという制度がある。(校舎や施設は、これも、公私立共々、市町村負担だ。)
 以前は、支給額がプールされ、学校は、使途別に申請して受給されていた。しかし、それでは、国(教育文化科学省)の事務管理が煩雑であると、グロバリゼーションの時代、すなわち、新自由主義的傾向の強い時代に、規制緩和という名のもとで、ラムサム政策が導入された。
 その結果、すべての小学校は、一括して受け取った額の中から、教職員への俸給、教材・設備購入、研修費などを、自校の運営管理活動の一環として、自己管理しなくてはならなくなった。毎年、会計監査も受けなくてはならない。

 言うまでもなく、この自由化には、「無駄を省く」という意図があったわけで、学校の校長たちは、カネの使途を自由に決められるようになったことよりも、「煩雑な仕事が増えただけで、使える予算は減っている」という不満の方が多かった。

 実際、ラムサム制度導入に伴い、市町村ごとに国と地方の補助金で運営されていた「教育サポート機関」の民営化が進み、これまでは、定期的・ほぼ自動的に受けられた研修も、学校がそれぞれの意思で選ぶようになった。
 教育監督局による評価方法も変わった。これまでは、教育活動に限定されていた評価が、会計監査と組み合わされることになった。
 4年ごとに更新する学校改善計画書と学校要覧の作成が義務付けられたうえ、ラムサム政策による事務手続きの増加で、すっかり不満だらけになった学校の管理職者たち。結局、監督局と学校の教育者たちとの利害すり合わせの中から、評価方法の簡素化が進んだ。

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 そんな中で、学校のマネジメント能力が問われるようになってきた。

 長く務めた校長が退職して、新任の校長を選ぶ際に、教育者としての高潔さや信念よりも、マネジメント能力を優先する傾向が増えてきた。無論、校長の罷免権は学校自身にある。特に、私立校の理事会や教職員の発言権は、日本に比べるとはるかに大きい。それでも、ラムサム制度とそれにまつわる運営上の改革は、マネジメント能力優先の校長選任を、どの学校にも余儀なくさせてきた。

 比較的若い教員体験者が、自ら手を挙げて、管理職研修を受けて好調になるケースも多い。それならば、同僚の教職員との共同体験もあり問題は比較的少ない。しかし、教員の多くは、子どもの発達には熱心でも、運営には疎い、カネのことは考える余裕がない、という人が多いものだ。そんな中で、企業での経理、人事、総務など、マネジメント経験者が校長職に選ばれるケースが増えてきた。教育哲学より、マネジメントの特異な人材が求められるようになってきた。

 小学校を訪問すると、校長室にこもりっきりでキーボードを叩いている校長によく出会うようになった。視察交渉をしたり、実際に学校を訪れても、視察者に関心はなく、副校長や他の教職員に任せて知らん顔、という校長が多くなった。

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 こういう傾向がもたらす不幸は、特にオールタナティブ系の学校でも深刻だ。

 モンテッソーリ、イエナプラン、ダルトン、フレネ、などのオールタナティブ系の小学校は、オランダでは特に、国がよい待遇をして尊重してきた。70年代にキノコのように増えたこれらの学校は、どこも、その時代に、教育哲学に燃えた熱心な教員たちが、国の政策に働きかけながら、子どもの個性と社会性をはぐくみ、親と協力して、「共同体」としての学校を育ててきた。その影響は、広く、他の一般校にも浸透している。
 だが、それができたのは、教育理念、教育方法の自由に支えられ、学校が、自律性・自由裁量を保障されていたからだ。教育面での自律性、自由裁量性は、今も、形の上ではきちんと保障されている。だからこそ、学校会計・運営の自由までが保障され、ラムサム制度の導入となった、ということもできる。
 しかし、経営の複雑化、運営の煩雑さが、その自由裁量性の中で、全体をオーケストラのように指揮していく校長の、「教育者」としてのリーダーシップよりも、マネージャーとしてのリーダシップを要求するようになってしまった。

 70年代に、熱気のように高揚したオールタナティブ教育運動だが、第1世代の職員たちは、すでに、退職の年齢になっている。退職の年齢になっても彼らは、マネージャーとしての校長職にはつきたがらない場合が多い。そんなカネの計算などまっぴらごめんだ、という人が多いのだ。
 現場の教員たちのほとんどは、すでに、第2世代。第1世代に比べて、「子どもたちの個性を伸ばし、共同体を作るために」という意気に燃えている職員たちは、オールタナティブ系の学校でもすっかり影をひそめるようになってきた。自分たち自身が、個別化・個人化の進んだ時代の産物で、社会変革への熱気などなくても幸せに生きている世代なのだ。

 






2009年6月26日金曜日

パートタイム失業制度延長、ただし、条件を厳しく

 一昨日に社会事象・労働省のドナー大臣が、パートタイム失業制度の資金使用終了による停止発表(http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/06/blog-post_23.html)は、かなりの動揺を呼んだようだ。すぐさま、労使双方から継続の声が聞こえ、ドナー大臣もこれに応じて、小予算からさらに資金をねん出することを決め、早くも、第2院(衆議院)での国会討議が行われた。わずか2日の間の出来事だ。
 この間、労使間交渉にかかわる労働法人の調査が発表され、「パートタイム失業制度がなかったら、完全解雇にせざるを得なかったという会社が多いこと、また、部分雇用であれ、雇用が続けば、所得税の納入が続くので、国庫収入の一部を負担し続けることにもなる」という理由が出され、制度の継続への強い希望が示された。
 
 今回の危機では、製造業、鉄鋼・金属関係やテクノロジー部門の企業が大きな痛手を受けている。中には、売り上げが一気に70%減となった企業もあり、このパートタイム失業制度がなかったら、熟練の専門職者を失う上、到底危機を乗り越えられなかったと言う企業もある。

 国会では、与野党相互から、延長支持の声が圧倒的に強かったようだ。ただし、わずか3カ月余りで資金が底をついてしまった、という事態に対しては批判の声もある。「パートタイム失業制度」を申請する企業に対して、基本的に、健全な経営状態にあることを条件とした、厳しい規則を設けるべきだ、との声だ。こうした議論に基づき、政府は、近日中に、労使とともに、同制度適用の条件を話し合うことになっているという。

 OECDは、経済回復基調が確実になるまで、政府による経済活性のための資金注入はやめるべきではない、という。欧州連合の加盟国は、お互いの足並みをそろえて回復基調に戻っていかなければならない、という事情もある。
 けれども、いまのところ、まだ、安心には程遠いようだ。2010年の失業率は倍になる予定だし、財政赤字は、毎日1億ユーロずつ増えていくという。

 そんな中で、経済学者の中には、不況は、劣悪経営企業の淘汰なのだから、要らぬてこ入れはすべきではない、という意見もなくはない。しかし、全体の傾向を見ているとこういう声は小さく、やはり、オランダの場合は、企業優先というよりも、労働者の保護に非常に厚い国である、と思う。


 

2009年6月24日水曜日

犯罪者の社会復帰

 よく訪ねるイエナプランの小学校に、最近またある視察団とともに訪れた。
 イエナプラン校は、何度も訪ねているのだが、いってみるたびに新しい発見がある。

 いつものように、この日、訪問者とともに職員ホールに通され。若い女の校長先生が、いつものように学校の概要を説明してくれた。そして、それから、彼女は、ちょっとほほ笑んで私の方に目配せをし、
「それから、今日は、実を言うと、今、学校に特別のゲストを迎えているんです。もうすぐ卒業して中学校に進学する最上級生のこどもたちが今そのゲストを囲んでサークルで話し合いをしています。そのゲストというのは、実は、刑事犯罪を犯した前科のある人で、TBSクリニックから社会復帰訓練で出てきている人なんです。ちょうど、今子どもたちはワールドオリエンテーションで全校一緒に『法律』をテーマに学んでいるところなので、いつものようにホンモノの勉強をするために、こうしてゲストとして招いて、子どもたちと話をしてもらっているんです。」

 TBSクリニックにいる患者というのは、相当の凶悪犯罪者のはずだ。刑の比較的軽いオランダでも、少なくとも四年間の留置刑が科された犯罪に対して、犯罪を犯した時期に、精神的に異常であったことが証明され、そのために、服役能力がないと考えられると裁判官が認める人が収容される。
 回復の見込みがない精神異常である場合も多く、収容される患者のおよそ六割以上は治療を受けながら一生クリニックで過ごすらしい。クリニックとはいっても、厚生省下の施設ではなく、法務省管轄下にあって、法務省予算で賄われている施設だ。全国に現在10か所ある。

 TBSクリニックに収容されている犯罪を犯した患者たちは、薬剤投下によって精神異常が抑制され、二年ごとに回復状態を審査される。基本的には、再犯の危険がなくなっているかどうかの審査だ。

 回復が順調に進み、普通に過ごせすようになると、はじめはクリニック周辺を歩くことから始め、徐々に社会復帰の訓練が行われる。犯罪者の社会復帰には、社会も責任を持つもの、という考えがあるのだという。

 ただ、不運なことに、これまで、社会復帰訓練中の患者が、付添い人の見ていない間に逃亡して再犯が起きたことも何回かある。全数に対する比率は少ないものの、当然、社会は敏感に反応するし、厳重な監督が必要にもなる。

 それでも、厳しい監督下で動くだけであれば、復帰訓練にはならない。そこで、最近は、足首にデータをチップで埋め込んだ輪のようなものをつけて、行動や居場所がすぐにわかるようにしているらしい。

 さて、この日、イエナプラン小学校に来ていた、というのは、そういう、凶悪犯罪を犯した精神異常の患者だった。ホールに二〇人ばかりの子どもたちと一緒に、輪になって座り、子どもたちの質問を受けていた。隣には、とても力持ちとは思えない、優しそうな女性が、付き添いで同行してきていた。その様子を、校長先生もほかの先生も監視しているわけではない。いつものように、それぞれのしごとをやっているだけだ。他のクラスの子どもも、いつものように、自分の授業計画に従って、自由に学校の中を動き回っている。
 一〇数人の日本からの訪問者を同行していた私も、取り立てて、じろじろ見たり、近くに行ってみるのもどうかと思い、話をしている子どもたちのそばを通り過ぎる時にちらっと様子を見ただけだった。

 しかし、後になって思い返してみても、どう考えてみても、あれは、ものすごいことだった、と思えるのだ。いったい、日本のどんな学校が、こうして、凶悪犯罪を犯した精神患者の社会復帰中に、学校に呼んで、子どもたちと間近に触れさせて話をさせたりするだろう?

 無論、こういう学校は、オランダでも例外的なのだろう、と思う。それにしてもだ、この学校に子供を通わせている親たちは、こういうことがあっても苦情を言わないらしい。それが証拠に、これは、今回が初めてではない、という。
 オランダには、犯罪者の社会復帰を助けるためのNPO団体があって、こういうTBSクリニックの復帰訓練中の患者や、前科のある元犯罪者の中から希望者を登録して、学校の授業の中で、子どもたちと交流させる活動をしている団体があるという。

 罪は憎んでも人は憎まず、ということを、建前ではなく本音で子どもたちに教えようとしている人たちがいるということだ。

 オランダという国は、つくづく、市民社会の究極の目標はなんなのか、人はどういう方向を向かっていれば市民社会の理想に近づけるのか、を思い出させてくれる国だ。

2009年6月23日火曜日

パートタイム失業制度の効果とオランダ経済の見通し

 前々回4月22日に報告した「パートタイム失業制度」の効果についての報告が出た。
 
 「パートタイム失業制度」は、金融危機による不況下の失業対策として4月1日から施行されているもの。被雇用者の完全失業を回避し、経済回復後に熟練労働者を早く動員できるための策で、雇用者は、現在雇用している社員の就業時間を最大6ヵ月間、最大50%減らして、この間、給与の支給を半分にし、その失業部分については、国が、通常の失業手当と同じように70%の手当を支給する、というものだ。つまり、労働者側は、この制度によって、完全失業を避けることができ、給与減も最大15%で済む。

 この「パートタイム失業制度」は、非常に人気があったらしい。
 この18日に中央統計局(CBS)が出した報告によると、5月の失業者数は8000人にとどまり、4月の2万人に比べて上昇率がぐっと抑制された。この失業抑制は、明らかに、「パートタイム失業制度」の適用の効果であるという。現在、この制度の施行から3カ月目になるが、適用ケースは1万人以上あるという。

 その前々日16日に発表された経済分析局(CPB)の予測では、2010年の予算赤字は6.7%と記録的な大きさになり、また、失業は現在の4.6%を倍増して73万人、9.5%に膨らむ見込みだという。この計算だと、今後、月当たり2万5千人ずつのテンポで失業が進むということであるから、5月の8000人は、確かに非常に少ない。
 
 労働組合側にも、企業側にも歓迎されたこの制度だが、政府の資金がそろそろ底をついてきているらしい。今年の国際通商は15%以上減少の見込みで、オランダの輸出は17.25%減、輸入は14%減とのこと。最も大きな打撃は、すでに過去のものと見られているが、国家経済がフォワーディング業を始め商取引に経済基盤を持つオランダでは、諸外国の経済回復の見通しが立たなければ、自国の経済の見通しも立ちにくい。
 CPBの発表後、財務大臣は、長期の不況に備えた対策が必要であるとしている。

 現に、今朝の報道では、「パートタイム失業制度」の担当省である社会事象・労働省のドナー大臣は、この制度のために準備されていた3億7500万ユーロの追加資金はすでに使い果たされた、と発表。この制度適用は、今日23日付の申請までしか受け付けられないと決まった。
 労働組合や企業側には、制度無期限延長の強い要望があり、そのための資金をどうすべきかが来週国会で討議される予定だ。
 被雇用者の失業よりも、個人自営業主の収入減が激しいとの報告もある。

 言うまでもなく、この制度がここで中断となれば、次に来るのは、完全失業者の増大だ。そうなれば、政府の失業手当負担も増える。また、夏以降は、新卒者の就職難による失業者急増も予測されている。


 何らかの手が打たれることになろうとは予想されるが、国庫赤字が先に見えている状態では、資金捻出が困難を極めることであろう。経済不況をどう乗り切るか、いよいよ正念場となってきたようだ。

 

2009年6月5日金曜日

移民排斥派と親ヨーロッパ派の分極明確:EU議会選挙

 昨日5日、27カ国の先頭を切って、オランダとイギリスで、ヨーロッパ議会選挙が行われた。2004年以来5年ぶりの選挙の結果を、5億人弱の住民がいて3億7千500万人の投票が予想されるヨーロッパと世界のひとびとが見守っている。

 オランダでの選挙は、736議席中25議席の分配をめぐって行われる。即日開票されたオランダでの選挙結果は、第1党は、キリスト教民主連盟(CDA)で、以前と変わりはなかったものの、得票数は減り、現在の7議席から5議席へと後退した。最も注目されたのは、へールト・ウィルダーズ率いる自由党(PVV)だ。この政党は、もともと自由民主党(VVD)にいたウィルダーズ氏が、独立して作った政党だ。2007年の第2院(衆議院)選挙では、150議席の中でいきなり9議席を獲得。この時も衆目を引いたが、今回は、それにも増す電撃的なショックを国内に広げている。
 というのも、このPVVは、非常に国粋性の高い政党だからだ。ヨーロッパ連合に関しては最も懐疑的、特に、イスラム教徒の国内流入に対して、最も排斥的な立場を示してはばからない。
 ウィルダーズ自身、反イスラムの挑発的な映画を作り、コーランを禁書とすべきだというなど、ボディガードなしでは路上を歩くことができないほど、激しい排斥を繰り返している。
 ヨーロッパには、特に、移民人口の多い国ほど、こういう、反イスラム感情が現在高まっている。
 そんな中で、ウィルダーズも、他国の、反イスラム勢力には、ひそかな支援があるようだ。だが、国会で自作の反イスラム映画を見せるという目的でイギリスに飛んだ時、イギリス政府は、空港で入国を拒否して、一幕を醸したことがあった。ヨーロッパ連合内では、現在、一般市民の国境通過にはほとんど検査がない。それなのに、国会議員でもあるウィルダーズが、イギリス政府から正式に入獄拒否を受けた時には、オランダでも、少々の議論が展開された。

 いずれにしても、そういう、極めて「国粋主義的な」PVVが、今回のヨーロッパ議会選挙で、なんと、4議席、得票数にして、全体の16.9%(開票率92.2%現在)を占めたのだから、驚かないわけにはいかない。

 CNNはじめ、諸外国のニュースでも、「国粋派極右PVVの勝利」と報じられた。

 他方、現政権を構成しているキリスト教民主連盟(CDA)、労働党(PvdA)、キリスト教連合(CU)は、得票率が極めて低かった。特にCDAは2議席、PvdAは7議席から4議席失って、半分以下の3議席だ。金融危機の先行きが見えない現在、政権として明らかな経済施策が打ち出せない状態が、支持者を失っている原因なのかもしれない。

 もっとも、PVVのような、国粋主義・ヨーロッパ連合懐疑派の躍進の反面、民主66党(D66)、グリーン左派党(GL)、社会党(SP)など、中道から左よりの親ヨーロッパ派の革新的な政党も票を伸ばしている。これらの政党の得票を合わせれば、8議席で、PVVの4議席に対しては倍の得票だ。
 金融危機で、人々が、自分の身の回りの安定を求める傾向が予想される中、親ヨーロッパの革新政党が、5年前よりも躍進したことについては、彼らの間で、満足の声が聞かれている。

 早い話が、どうやら、今回のオランダの選挙から結論できるのは、オランダ社会が、極右と革新の両方に分極してきているらしい、ということだ。ニュアンスを含んだ中道的な議論をした現政権内の与党各党が、いずれも票を下げたことからもこれは明らかだ。特にハーグやロッテルダムなどの都市部で、両方の支持が強いのが気になる。


 もっとも、投票率が極めて低いことは注意しておくべきだ。今回の投票率は、36.5%で、前回の39%をさらに下回る。もともと、ヨーロッパ議会選挙は、一般に、国内選挙に比べると関心が低い。5年前のヨーロッパ議会選挙の、域内全体の投票率は44%にとどまったことでもそれは明らかだ。オランダの場合、第2院(衆議院)選挙の投票率は、毎回80%に達するので、これと比べてみても、オランダの人々のヨーロッパに対する関心が低いことが知られる。

 ヨーロッパ連合はもともと、各国の民主体制の維持の上に成り立ったものだ。地方分権が前提といってもいい。だから、ヨーロッパへの関心が低いことは致し方ない面はある。
 しかし、オバマが国際協調に乗り出し、また、金融危機対策においても経済ブロックとして足並みをそろえた動きをすることが望まれている現在、ヨーロッパ連合に対する関心の低さを危ぶむエリート層の声は強い。もともと、ヨーロッパ連合は「エリートたちの理想主義だ」という感覚でとらえられている面も少なくない。

 そういうわけなので、今回のヨーロッパ議会選挙の結果が、果たして、国内政治の議論に対して、どれほど有効性を持っているかについては、疑問が多い。にもかかわらず、ヘールト・ウィルダーズは、「今回の選挙結果は、国内の人々が、現(オランダ)政権に不満を持っていることのあかしだ」と鼻息が荒い。無論、与党各党、また、親ヨーロッパの革新各党も、国内政治の議題とヨーロッパ議会の議題とでは、問題の質が違う、と取り合わないが、、、。
(ウィルダーズの言質言動を見ていると、ユーモアがほとんどなく、討論相手の話を聞いている様子も見られない。どうして、極右はというのは、こうもユーモアのない連中なのだろう。)

 問題は、そもそも、ヨーロッパ懐疑派のPVVがどこまでヨーロッパに影響を与えられるか、だ。
 なにしろヨーロッパ議会には、736議席もの議席がある。既存政党は、したがって、ヨーロッパレベルでは、各国の政党が集まって、ヨーロッパの政党を構成して協働することになっている。(そのため、オランダのキリスト教民主連盟は、労働党と連立するほど、かなり中道性、左翼との歩み寄りの性格が高いにもかかわらず、ヨーロッパ議会では、イタリアのベルロスコー二率いるかなり右翼性の高い政党と協働することが、支持者を躊躇させる原因にもなっていたとの見方もある。)
 当然、27カ国の代表者と協働しなければ、ヨーロッパ議会での議論には決着がつかないのが当然だ。

 しかし、PVVは、反ヨーロッパ主義の政党として、独立無所属の議員として参加するという。果たして、736議席もの中で、わずか4議席の代表が、全体の動きに対してどれほどの影響を与えられるかは疑問視される。

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 さて、選挙は、これから、今週末にかけて、27カ国すべてで実施されるが、興味深いのは、イギリスがまだ開票結果を報告していないことだ。ヨーロッパ連合の姿勢としては、最終開票日まで、結果を報告しないことを望ましい、としているらしい。先に行われた選挙結果が、他国での選挙に影響を与えないため、という。イギリスは、この姿勢を受け、日曜日まで、開票結果報告をしない。
 しかし、何事も「オープン性」を優先するオランダだ。事実は事実としてありのままに、という精神か、昨日の選挙は、投票時間終了とともに、すぐに、即時速報が開始された。
 こういうあたり、各国の政治姿勢にも、ヨーロッパ連合の面白さはある。

 今日は、アイルランドとチェコで投票が行われる。
 日曜日夜には、27カ国の開票速報が始まることだろう。

 金融危機の中で、果たして、ヨーロッパの人々は、どんな意思表示をするのか、、、
 PVVのような、国粋主義的なヨーロッパ懐疑派の動きは各国に存在する。特に、フランス、ドイツ、デンマークなど、これまで、移民労働者の受け入れにどちらかというと寛容だった国で、その反動が見え始め、社会不安が高まっている。高齢化社会に加えて、経済危機が、低所得者層を追い詰め、移民排斥に向かわせている。
 しかし、同時に、国際協調の時代、しかも、オバマ大統領は、昨日カイロで、イスラム教徒との友好関係を表明したばかりだ。そちらの支持に票が動く可能性も非常に高い。

2009年4月22日水曜日

ワーク(就業)シェアリングの国は失業もパートタイムで

 世界を襲う前代未聞の経済危機は、いまだに出口が見えません。海外市場に多くを依存している小国オランダの経済も、世界の動向に光が見えないうちは先が見えず思い切った政策がとれないでいるようです。とにもかくにも、この小国オランダの経済がつぶれないためには、政労使が協力して力を合わせるしかない、、、その点だけは、一致団結しているようです。

 そんな中で、4月1日付けで、オランダ政府は、パートタイム失業保険制度を導入しました。経済危機にあっての緊急対策です。

 もともとワークシェアリングの国。同一労働、同一賃金の原則に従い、同じ職場の同じ仕事であれば、職員の希望によって、週32時間でもよければ週20時間でも働けるというオランダです。

 このワークシェアリング、つまり、仕事の機会をお互いに分け合う、という社会で、今度の緊急対策は、「失業」を分け合おうという発想から出てきたものと思われます。

 この制度は、社会事象・労働機会省の説明によると、企業(雇用者)は、職員(被雇用者)を、その職員が現在契約している労働時間に対して、最大50%まで、3カ月以内の期間部分解雇できるというものです。オランダの失業保険(WW) は失業直前の時点での賃金の70%を保障しますから、仮に、雇用者が50%の解雇を要求した場合、実質的には、15%の賃金減になる、という計算です。

 3カ月の期間は、場合によっては、2回まで最大6カ月まで延長が認められますが、雇用者は、この期間中、また、その後一定の期間以内は、その職員(被雇用者)を解雇してはならない、やむを得ず解雇しなければならない場合には、このパートタイム失業保険として国から支払われる額の50%を罰金として国に返済しなければならない、というものです。

 つまり、雇用者(企業)は、この経済不況期の苦しい時期を乗り越えるために、職員の労働時間を最大50%、一人当たり6カ月まで減少させることができるが、その間に、経営の無駄、組織の効率化、市場開発を図るなど企業運営そのものの改善を努力しなければならない、ということです。
 しかし、同時に、この制度は雇用者(企業)にとっても有利な点があることは言うまでもありません。なぜならば、苦しい時期に少しでもコスト減を測ることができれば、倒産の憂き目に会わずに済む企業も多いでしょうし、熟練した経験のある職員を解雇せずに、部分失業の形で保持できることで、やがて将来経済が回復した時に、人材不足に悩まずにすむからです。

 他方、被雇用者にとってはどうでしょうか。
 確かに、現在の時間よりも50%削減されたのでは、収入は減少します。しかし、世界中が危機に悩む時期、被雇用者が恐れているのは、完全に失業して路頭に迷うことです。今のような時期に失業すれば、次に仕事を見つけるのは大変困難です。それならば、期間限定、しかも、その後には再び前と同じ時間まで働けるこの制度は、将来に対する不安を取り除くことにもなります。しかも、オランダの場合、一般に、失業者やパートタイム就業者、派遣職員に対する研修の機会が充実しています。また、さまざまの教育・訓練期間が、自己開発を望んでいる労働者のために、比較的安価で時間的にも融通の利く研修をたくさん準備しています。ですから、「パートタイム失業」は、将来の転職、自己啓発のための機会を提供することにもなります。

 それでは、パートタイム失業保険制度で失業保険を支払わなくてはならない政府は? 熟練労働者や高齢労働者など、実質的に力のある労働者が「完全失業」となって、失業保険金の負担が増え、公営事業を大量に用意しなければならないことに比べたら、ずっと安価で済むはずです。

 昨日の新聞によると、労使代表の話し合いによって、この「パートタイム失業保険制度」の適用を雇用者側が申請した場合に、労働者はそれを拒否できない、ということを組合側が受け入れた、ということでした。 

 オランダには、SERといって企業と労働者との代表が共同で話し合う機関があります。ワークシェアリングを実現させたワッセナーの合意でも、この機関があったことが成功の秘訣だったのです。両者が歩み寄れたのは、双方が、双方の権利を主張し、また、双方の問題を知ることで、両者にとって「ウィン・ウィン」の関係を生み出すための知恵を絞るからです。これはときには時間がかかります。政府は、両者のちゅうさい調停的な役割を果たすとともに、両者が歩み寄れない場合に力を貸します。

 今回の「パートタイム失業保険制度」もまさに、この政労使共同での危機対策の典型であると思います。3人寄れば文殊の知恵、といいますが、3人の似たり寄ったりの人間が集まるのではなく、3者それぞれに利害が異なるモノが集まり、お互いの利と害を酌量すれば、予想もしなかった「知恵」が浮かぶもの、どうやら、そういうところにオランダ人たちは、知恵の絞りがいを感じる人たちのようなのです。

 無論、どの施策もどこまでうまくいくものかやってみなくてはわかりません。
 ただ、やってみて、またやり直しや修正ができる。それも、利害の異なる3社が、お互いに、張り合いいがみ合っているのではなく、とにかく、話し合ってみようじゃあないか、という気分を維持しているからできることなのです。

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 今年の2月17日、CPB(経済政策分析局)の発表は、オランダ人を震撼させました。なにしろ、昨年夏まで失業率2.7%で、ヨーロッパの中でも最も優等生だったオランダが、2010年には、失業率9%に上るだろう、との発表だったからです。

 確かに、冒頭に述べたように、国外経済への依存率が大変高いオランダの経済には、今のところまだ先行き不安が非常に大きいままです。国内でも、主要紙や野党から、政府の施策が遅いとの批判は多いです。国民老齢年金の開始時期を65才から67歳に引き上げるか否か、高額の国庫費がかかる戦闘機を購入するか否かなどの議論が、毎日のように国会で議論されています。

 しかし、そんな中で、4月の初めに出た報告では、CPBの予測していたのよりも、失業率の増加が進んでいない、というほの明るいニュースも伝えられました。
 企業家と労働者の協調、また、そういう社会的な雰囲気が、苦しい時期、問題を共有しようという意識を支えていることがうかがえます。

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 日本では、「失われた10年」が、いまや「失われた20年」になりそうだ、との揶揄が聞こえます。英字週刊誌エコノミストは、10年失われたのはわかるが、20年もそれを続けるのは、策がないとしかいようがない、と批判していました。

 危機をチャンスに、という言葉も最近よく聞こえます。
 つまり、危機は、いろいろな意味で、物事を自己批判的に見直し、病巣を取り除くきっかけになるという意味でしょう。
 しかし、日本の失われた10年は、一見して、経済回復の努力をしていたかに見せ、政権の交代もなければ、企業の体質改善も本質的には行われなかったのではないでしょうか。それが証拠に、今も、日本の政治は未来に展望が描けず、国民は、政治に対して失望しているにもかかわらず、国民自身が、市民として政党を作り政治参加する意欲を持っていません。
 また、企業の収益は一時期上がったものの、その一方で、大量の失業者、派遣職員を生み、経済格差は異常に広がり、若者や一般家庭の貧困まで取りざたされるようになっています。経済大国の日本が、、、、です。それは、オランダなど、人々の人権を尊重する国々で、企業が、経済危機において、その問題を、企業内の組織・運営上の無駄を省き、効率化を図ることで乗り越えようと努力をしているのに対し、全く正反対の姿です。企業家は自己批判を回避して、不況のつけをすべて労働者に押し付けてきたにすぎないのです。

 これは、これからの日本の取り組みに非常に大きな示唆を与えるものではないでしょうか。

 現在の経済不況期に、諸外国は、再び、企業が、さらにより良い経営に向かうべく、さまざまの施策を知恵を絞って生み出そうとしています。それは、政府も国民も、労働者を路頭に迷わすようなことをすれば、社会そのものが連帯感を失い、人々の精神的な健康は失われ、おそらくは幸福度の総量が減少し、ストレスは働けない病人の数を増やし、出生率は下がり、生活に保証のない高齢者が増え、さらには、その社会を支える納税者としての若者がいなくなる、ということを知っているからです。

 同時に、自己批判によって経営や組織の体質改善に取り組んでいる企業は、この経済危機を乗り越えた暁には、新しい時代の新しい技術、新しい効率的な経営方法に取り組める状態に少しでも近付いていることでしょう。

 日本で問題を先送りしているのは政府だけではありません。企業家も、自己批判を避けて、労働者を吐き出し、表向きの数合わせをしているだけに過ぎないのではないでしょうか。そういう企業が、果たして、危機を乗り越えた時に、欧州の国々と競争できる健全で良質な体質を獲得しているのかどうか、、、、私はそこに不安を感じています。

 日本の政治家が本当に企業の再生を望んでいるのであれば、企業自身が内部の組織上・経営上の体質改善に取り組めるような刺激と支援を与える施策をとるべきでしょう。そして、未来社会にとって、健全で良質な企業経営とは、人間の幸福を推進し優先する生産と取引です。

2009年3月30日月曜日

連帯と業種別組合:ワークシェアリング(ポルダーモデル)を可能にしたもの

 日本でも7年ぶりに再びワークシェアリングに取り組むことが政労使の合意で決まったという。(関連記事:http://naokonet.blogspot.com/)世界規模の金融危機、人件費の高騰、基幹製造業の生産低下と円高の煽りも受けた輸出額の急激な減少などで、日本経済の先行き不安要因は一気に高まり、失業率も今後ますます増えることが予想される。特に、すでに社会問題になって久しいフリーター、ニート、ワーキングプアなど、将来に展望を描けない若者の人口が急増している。一方で、高齢化社会を支える若年就労人口の減少を予測させる少子化問題が取りざたされているというのに、若者の働く権利・生きる権利を尊重する活力のある動きは見られず、巷では、いよいよワークシェアリングを実現する以外に解決策は見当たらないのでは、という声が増えてきている。そんな中での、7年ぶりの政労使の合意というが、果たして、それは、本当に効力のあるものになるのだろうか。

 ワークシェアリングの考え方は、オランダのポルダーモデルに起因するところが大きい。実際、オランダは、1982年、ワークシェアリングを実現することになった「ワッセナーの合意」(政労使合意)によって、低迷していた経済を目覚ましく好転させ、90年代の経済好調期を迎えることになった。このオランダの例は、当時のオランダに、ある意味で状況が似ていなくもない今の日本に一つの切り札を提供しているように見える。だが、今回の7年ぶりの「政労使」合意によるワークシェアリングへの再度の踏み出しは、本当に、切り札として有効なのだろうか。

 そういう観点から、オランダのワークシェアリングの状況を少し詳細にみてみたい。

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 実をいうと、オランダでは、「ワークシェアリング」と言ってもだれも何のことかわからない、というのが多分現実であろう。この言葉は、オランダではほとんど聞かれることがないからだ。
 日本でワークシェアリングが議論されるとき、その典型例としてオランダの経験がよく引き合いに出される。しかし、日本では、残念なことに、これを「オランダ・モデル」という言葉で表現している。おそらく、英語のわかる人が、この言葉を直訳してHolland ModelとかDutch Modelなどという語にして検索してみても、目的のワークシェアリングについてのオランダの背景情報には、おそらくなかなか行きつかないのではないかと思う。

 オランダでは、ワークシェアリングは「ポルダー・モデル」として知られている。名付け親はイギリス人の経済学者らしい。そして、この語は、オランダのワークシェアリングの本質を実に的確に示した言葉であるといえる。それは、単に、「仕事分け合う」というだけのものではなく、国内における失業率の低下と対外的な経済競争力の維持を目的として、雇用機会の創出と、それに伴う既存の雇用機会における労働時間の削減、また、賃上げ要求の抑制に基づく企業の競争力の維持、そして、これらの施策を促進するための法規的な制度の整備を内容とする、総合的な経済回復プランだった。

 <ポルダー>とは、人工の干拓地のことだ。河口のぬかるみの土地の周りをダイク(堤防)で囲み、風車などを使ってポンプで堤防内の水をくみ出して(干拓して)作った土地だ。オランダの全人口の約6割が、このポルダーといわれる海抜0メートル以下の土地に暮らしている。
 このような海抜下の土地ポルダーでは、住居や作物・家畜そして人命を押し流す洪水が最も怖い。そのため、オランダには、地方に分権された一般行政組織とは独立に、全国規模の水管理組織が作られており、共同・連携して、国土の水利事業と維持を行っている。

 オランダのワークシェアリングが<ポルダー>モデルと名付けられたのは、国内にいる様々の立場の人々の「連帯」に基づく協働によって、国家経済を対外的に強化するという目的で実施されたからだ。政府・企業・労働者という3者が、お互いの立場や利益を尊重しながら、歩み寄って、自国の経済を健全で競争力の高いものとして維持しようとした。その一部がまさに、日本でいわれるところの「ワークシェアリング」だった。「連帯感」を生むために、企業家や既得権を持つ就業者が自らの利益を譲歩して、低所得労働者や失業者に労働の機会を与え、逆に、労働者は、企業側への賃上げ要求を自主抑制することで、経済低迷期に、企業が新規事業への技術革新への投資力を低下させたり、インフレ・物価高による欧州市場での対外競争力を低下させることのないようにしようとした。無節制な賃上げ要求は、人件費の高騰によって生産物の価格を押し上げ、ひいては欧州や世界で市場競争力の低下につながる。こうして経営者の首を締めればは、最終的には失業率の増大という形で、労働者の解雇につながることが目に見えているからだ。

 また、ポルダーモデルが目指した失業率の低下は、なかでも、新しい知識や技術・情報を学ん出来たばかりの若年労働者や、国家資産によって育成された高学歴であるにもかかわらずその成果を社会に還元できないで家庭にとどまる女性たちの雇用機会を増やすことに焦点が置かれてもいた。未来を担う世代に、また、これまで家庭にこもってしまっていた女性に雇用機会を提供することで、社会参加意識を育て、社会に「連帯感」を醸成することが、ポルダー・モデルの社会的な意義であったともいえよう。

 この「連帯感の醸成」という観点からみて、ポルダーモデルを生んだ「ワッセナーの合意」(1982年)という政労使三者の合意は、そこに至るプロセスを、どれだけ、市民が共有しているか、ということが大変重要な眼目にあったと言い換えることもできる。

 政策決定のプロセスを市民が共有するためには、マスメディアの力が非常に期待される。
 この点で、オランダのマスメディアは、ポルダーモデルよりも、さらにずっと以前から、市民の社会参加意識の醸成の役割を、きわめて有効的に果たしてきた。

 前回の記事で書いた、先週の「金融危機対策の経済回復プラン」を巡る政労使合意に至る話し合いが3週間にわたって続けられる間、各新聞や公共放送を使用する各種の放送団体は、この間の動きを独自の視点でつぶさに報道した。それぞれ、議論・討論の場を設け、話し合いに並行して、各政党の意見、労使それぞれの代表者、市民の意見が毎日のように取り上げられた。その合間合間には、政労使の話し合いの当事者である、首相・副首相、企業代表、組合代表らも、生放送でインタビューに応じる。識者らが集まって、首相や財務大臣、各政党の党首などのパフォーマンスを批評する。それは、市民である視聴者の立場からすると、ジャーナリストを通じて様々の立場の意見をリーダーらにぶつけ、反応をうかがう機会であり、政治家や労使代表にとっては、みずからの立場を表明し、視聴者を説得し、自らの選択をフィードバックする重要な機会なのである。

 こうしたマスメディア上のやりとりそのものが、市民に「声が聞かれている」という安心感と、「議論に加わっている」という社会参加意識、そして、政策決定後には、それを成功させようという「自己責任」意識につながる。つまり「連帯感」の醸成そのものだ。

 しかし、日本のワークシェアリングの議論には、こういう、マスメディアの役割が完全に欠落している。
 官僚が用意した「記者クラブ」での公式発表を、経験の少ない新米記者が「受動的に」受け止め筆記し、新聞紙上に転写するだけのメディアでは、市民に参加の機会は生まれない。こういう脆弱なメディアからは「連帯感」は生まれない。「連帯感」のないワークシェアリングは、果たして、オランダのモデルを想起させる、オランダが実績を生んだような経済回復につながるものなのか。23日に発表された「日本型」ワークシェアリングの復活は、その前後の事情を見ていても、いかにも唐突で、市民参加の議論に基づいたものではなく、単なるなれあい談合の結果、これもまた相も変わらずのトップダウン政策の一つにすぎない、と落胆させられる。

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 日本りのワークシェアリングに「日本型」という冠がつけられていることにも、疑問点は多い。

 企業家、政治家、ある種の識者は、日本には独特の伝統的な雇用慣行があり、それがあるために、オランダのようなワークシェアリングの導入には無理がある、という議論を、おそらくはまことしやかにすることだろう。けれども、その日本的な雇用慣行とは、果たして、単なる文化の違いと片付けられるものなのか、それとも、近代化の遅れそのものなのか。後発の近代化を遂げた国は、法制度としては西洋型の近代民主制度を銘打っていながら、内実として、それに矛盾した前近代的な制度を温存していることが多い。そういう意味で、日本はこの、不自然な近代化のゆがみを典型的に表している社会であるし、こうしたゆがみは、中国やインドをはじめ、後発で急速な近代化を実現した国に多かれ少なかれみられるものだ。一方で、西洋的な価値意識に基づく、近代市民社会の理想がありながら、内実として、伝統的に市民意識が育っていないか、抑制され続けてきた国は、非西洋に多い。日本の今の閉塞状況は、まさに、そうした社会的病理の典型例であり、これを日本がどう独自の力で乗り越えられるかは、これらの後発非西洋社会で、近未来に予測される社会問題に、一つの普遍的な解決策をモデルとして提示できるかどうか、という風に置き換えることもできると思う。

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 日本独特の雇用慣行の特徴として、最も顕著なものに、年功序列制度と企業別労働組合があげられる。

 年功序列制度は、労働者の、実力・実質的な意味での資格・経験などに基づかず、単なる勤続年数だけで序列を決めるという点で、前近代的な性質を持っている。昨今、一部で導入が求められているジョブカード制度や、キャリアアップと称する訓練も、実質的な実力よりも年功序列が優先した制度では有効に機能しないのではないか。もともと、学校教育そのものが、確固とした一定の能力達成を条件とした、内実のある卒業資格によってではなく、単なる、相互競争だけで生徒を選別する制度だ。入試制度が幅を利かせ、実力よりも学歴が優先される雇用慣行の中で、ジョブカードや訓練の有効な発展は望めない。

 さらに、雇用機会の創出を確信に据えるワークシェアリングの実現の前に、大きく立ちはだかっているのは、企業別労働組合の慣行だ。これは、オランダの実情と照らし合わせてみると、一目瞭然としてくる。

 オランダでは、業種別労働組合が普通で、各業種(セクター)ごとに、毎年、労使協定(CAO)が更新される。CAOには、次の10大項目を盛り込むことが法律で義務付けられている。これが、ワークシェアリングの推進において非常に大きな役割を果たしている。

1.労働時間
2.俸給体系
3.職務評価基準
4.休暇規則及び労働時間短縮規則
5.残業規則
6.疾病時対応規則
7.労働環境と安全についての規則
8.(早期)退職規則
9.解雇規則
10.専門職権

 つまり、業種別に決められた、すなわち、企業の壁を越えたCAOが存在することで、労働者は、同一条件のもとで、同じ業種の企業間を自由にジョブハンティングしながら移動できる。同じ業種の企業は、少なくとも、CAOの10原則に関する限り、全く同じ条件で、雇用機会を提供しなくてはならないからだ。

 これは、企業の市場ではなく、労働者の雇用市場の公正という、日本の現状からは実現が極めて危ぶまれる事態を意味している。

 日本の、企業内労働組合では、職員に俸給を支払い、仕事の内容を決める経営者と、それに従順に従う以外にない労働者の間には、公正で平等の関係は約束されない。年功序列制が、さらにそれに加わるため、労働者は、たとえ自分には同意できない劣悪な経営であっても、ただじっと我慢して忠実に仕事を続けていさえすれば、やがて経営者の立場になることも期待される。技術革新や経営改革は起こりにくく、社内での不正も生じやすい。
 同業種であっても、同業種組合がないために、労働者の自立を保障する連帯がなく、企業間競争は、生産効率だけをめぐって行われることになり、よりよい労働条件を競い合うことはあり得ない。労働者の権利が生産効率のために犠牲となりやすい状況が容易に生まれる。
 企業(経営者)にとっては、職員を劣悪な条件下で酷使できるわけで、効率化が図りやすい。一見、家族経営に見せかけてはいるが、安くて、思うように動かせる労働者をいくらでも使えるという構図だ。しかし、これは、本当に企業にとって有用な制度なのだろうか。こうした状態が長く続けば、職員の就労意欲は低下し、企業の技術革新や経営の抜本的な改革には取り組みにくくなるのではないか。また、若年労働者が持っている新しい情報や技術・知識は生かされにくく、したがって、対外的な競争には非常に弱い立場とならざるを得ない。
 
 平たく言えば、労働者は、その企業の上司から、「ぶつぶつ言わずに仕事が終わるまで残業しろ」と言われたら、それに従う以外に選択肢がなく、「休暇などをそんなにとっていたら、B社に負けるぞ。負けていいのか、お前の会社が。それで会社がつぶれたら、元も子もないだろ」と脅されれば、業種別労働者の組合というバックアップがないために、返す言葉もなく、残業手当も、休暇もなく、働きづめに働いて、過労死、うつ病候補にならざるを得ないしくみになっている、ということだ。

 これでは、自主的な社会参加意識や自己責任を涵養し、労働者自らがワーク・ライフ・バランスを選択するワークシェアリングの精神を具体的に実現できるわけがない。

 このように、オランダのポルダーモデルが有効に機能できたのは、業種別労働組合があったからだ。上にあげたように、CAOの中には、同業種の労使間の約束として、共通の休暇規則、残業規則、労働時間短縮規則が盛り込まれている。だから、労働者は、自分が就業している企業がそれらの規則を守っていなければ、いつでも、他の企業に転職していく。CAOがあるからこそ、誰はばかることもなく、安心して、ワーク・ライフ・バランス、男女の役割分担を、自分なりに選択することができる。

 業種別組合を基礎とした労使協定CAO があるおかげで、障害者の自立も促された。

 オランダでは、労働市場に関する限り、<障害者>という別のカテゴリーは存在しない。
 障害者は、疾病による、一般の「長期労働不能者」として一般労働者と同じ待遇を受ける。障害者たちは、長期労働不能者と共に、適正業種を想定して、個別に就労能力の判定をうける。これらの長期労働不能者は、通常の健常労働者の就労能力を1とした場合、何%の就労能力を持っているのかと判定される。判定基準は、科学的に証明された共通の基準が全国一律に適用される。
 したがって、障害者を含む長期労働不能者は、ポルダーモデルによって実現した、正規のパートタイム就業を利用することにより、就業による収入と、それを補完する部分的な障害者手当とを組み合わせて、自立的に生活できる。「正規」のパートタイムであるから、俸給は、同一労働同一賃金の原則に従って支払われ、年金積立や保険制度も適用される。
 だから、障害者であっても、就業している職種によって、一般の業種別労働組合の正規会員として登録されている。つまり、CAO協定の対象になっているということだ。

 教職員組合の例をとってみよう。
 教職員の資格を持つものは、この組合に属することで、教職員組合のCAOの規定の対象になる。CAOは、業種ごとに、俸給体系を規定しているので、この教員が、私立学校に勤めようが、公立学校に勤めようが、いかなる学校に勤めようとも、つまり、雇用者が市であれ私立法人であれ、俸給体系や労働時間、労働条件、休暇規則、解雇規則などには一切何らの違いもない。

 つまり、企業経営者が、質の高い労働者を採用したいと思えば、CAO協定に基づく、業種内に共通の規定を順守したうえで、さらに労働者にとって魅力的な職場を提供しなければ、よい人材を確保できない、ということだ。

 おそらく、日本の企業経営者には溜息がでるような話、こんな不景気にそんなに労働者を甘やかす金はない、と嘯くことだろう。だが、オランダのワークシェアリングは、そういう不景気のどん底であったからこそ実施された英断だった。
 日本企業が国際競争力を弱めている最大の原因は、従順で、革新意欲がなく、新しいアイデアを生み出す思考力もなく、先進の技術や情報を持った若者の発言を認めない日本の雇用慣行をあまりにも温存していることではないのか。

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 ワークシェアリングの導入は、単に雇用創出という意味だけではなく、おそらく、日本社会の行き詰まりを解決し、日本社会の雇用文化を大きく180度転回し、活力のある社会を生み出し、人々の幸福感を回復する可能性を持つ、数少ない施策の一つであると思う。それだけに、安易な導入は避けるべきだと思う。名前だけが先行して、元の主旨が伝わらず、政労使の代表者だけで、市民には見えない議論で、あたかも実現努力をしたかに見せかけるのは、眉つばものだ。

 ワークシェアリングは、誰よりも、失業者、あるいは、失業と隣り合わせにいる労働者のためのものだ。これらの人々が、能力に応じた適切な雇用機会を与えられることで、格差が是正されなければ、「連帯」感のある社会は創出できない。日本人の幸福度を向上させるための条件は、この連帯感の創出と無関係ではありえない。






2009年3月26日木曜日

金融危機緊急経済回復プランの発表をめぐって


 米国のサブプライムローンに始まる世界規模の金融危機は、世界中の国々で、先行き不安を示しています。産業・経済市場のグローバル化によって、相互の依存度が著しく高くなっている中、世界規模の不況は、どこからきっかけをつかむのか、お互いにお互いの動きを察しつつも、先を読むことが難しく、具体的な対策を打ち出しにくい、前例のない状況を迎えています。
 
 そんな中で、日本では、数日前、突如として、「政労使三者が合意、7年ぶりに「日本型」ワークシェアリング」という文字が各新聞紙上に躍りました。それに至る議論もほとんど見られず、その後、発表された内容をめぐって展開される議論もほとんど続かなかったように思います。
 ワークシェアリングの元祖はオランダのポルダーモデルです。しかし、「日本型」ワークシェアリングとして示されている内容は、元祖のオランダのポルダーモデルには似ても似つかず、元来、ポルダーモデルを今採用するならば、苦境の日本経済と労働市場にかなりの効果を上げるのではないか、と思われるこの政策も、市民の議論を巻き込むどころか、なれあい合意に終わった感があり、未来に明るい見通しを開く、何よりも、労働市場で活動する一般市民にが未来に楽観を抱くことのできる、インパクトのある転換にはならなかったようです。

 他方、オランダでは、70年代の長い長い不況をもたらした「オランダ病」に奇跡の回復を与えた「パートタイム就業の正規化と賃上げ要求抑制という「ポルダーモデル」(日本では、オランダモデルとかワークシェアリングの名で知られるが、この用語では英語検索は無理)の切り札は、今回の危機にはもうありません。ただ、危機状況にあって、このポルダーモデルという労使協調の枠組みが、うまくいけば再び功を奏するかもしれない、という期待は若干あります。
(ポルダーモデルについては拙著「残業ゼロ授業料ゼロで豊かな国オランダ」をご参照ください)

 昨日、3週間の協議を経て発表された、現連合政権の「金融危機緊急経済回復プラン」の発表の様子と、それに対する反応について、報告します。金融危機に対するオランダの取り組みは何なのか、また、日本の取り組みとどこがどう違うのか、考えてみたいと思います。


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 今回の金融危機のニュースが伝わった当初(昨年9月)、オランダの経済は、ヨーロッパ内でも優等生(失業率は2.9%で欧州連合内最低)でしたし、経済活動も非常に健全と、ボス財務大臣の落ち着いた、国民を安心させるような態度と、人々のそれに応じた楽観とで、危機感はあまりなかったように思います。その後に続いた、ABN-AMRO銀行のベルギーからの奪還ドラマでも、オランダの選択はなかなかしたたかで賢明であったと思われます。

 しかし、この楽観ムードは、前回述べた、CPB(経済政策分析局)の経済見通しの発表後、急速に変化、楽観は一気に悲観へと変わり、世論にも、ひとびとの先行き不安を示す傾向が著しく上昇しました。いきおい、企業経営者側からも、労働者の側からも、政府はどういう方針で経済回復を推進するのか、一日も早く示せ、と迫る声が日増しに高まってきていました。また、つい先ごろ、2008年にノーベル経済学賞を受章した世界的に名高いアメリカ人経済学者ポール・クルーグマンが、欧州の金融危機対策が消極的であることに落胆している、というコメントを述べたことでも、政府に対する人々の圧力と期待は高まっていたと思われます。

 「キリスト教民主連盟」(CDA)を中心に、「労働党」(PvdA) と少数派の「キリスト教連合」(CU)とからなる元連合政権は、この3週間にわたって、危機対策プランのための話し合いを続けてきました。月曜日(23日)に予定されていた合意達成は難航し、ようやく24日夜遅く合意、昨25日の発表となりました。

 危機対策プランの骨子は、①2009年と2010年は、「持続可能性の高い」「革新的な」企業や生産を優先して、刺激を与えるために国庫投資を続け財政緊縮は2011年からしかやらない、②一般老齢年金AOWの受給年齢を65歳から67歳に引き上げる案に関し、向こう半年以内に、労使間協議で対案を提示できれば、検討する、という二つでした。

 ①の、向こう2年間にわたる経済刺激活性化策のための国庫投資額は、600億ユーロ。この投資により、不景気の終点時点で、「より新しく、清潔で、より効率的な経済が存在していることを目指す」とのことです。不景気回復を予想した2011年には、500億ユーロの財政緊縮が予定されています。
  ②のAOW(一般老齢年金)の受給資格年齢を65歳から67歳に上げるという案は、連合を構成している3政党が、唯一共通して同意できる削減策であったといわれます。財政削減案の中には、住宅ローン課税控除の制限、特別疾病一般法(AWBZ=国民保険制度の一種)の改正、世帯内の無所得者または第2所得者に対する課税控除の廃止などが挙がっていたものの、連合内の3政党の足並みがそろわず、財政削減案としては提示できませんでした。

 さて、3週間にわたる集中的な討議を経て、危機対策プランを発表した政権に対して、野党は一様にブーイング、翌26日から、第2院(衆議院に相当)で、このプランをめぐる国会討議が始まっていますが、すでにさまざまの批判の声が聞かれています。
 革新的な野党の側からは、社会党SPが、危機状況は急進的に新しい選択を迫ることによって「文化変容」をもたらすものと期待していたにもかかわらず、今回のプランにはそういう展望が見られない、とし、民主66党(D66)も、「恐るべきほどに野心に欠ける」とこき下ろし、「緑の左派党」(GL)は、財政削減案として挙がっていた提案に対して、タブーを切り込む意欲が見られない、と批判。他方、保守派の野党側からは、自民党(VVD) が、古い政治慣習ですべての問題を先送りしているだけだ、と述べ、最も右翼的傾向の強い、移民排他で知られるヘールト・ウィルダーズ率いる自由党(PVV)も、何らの緊急感覚も見いだせない、古い体質の政治だ、と頭ごなしに批判しています。

 ただ、今回の、緊急プラン作成の途上で野党各党が不満を抱いていたのは、プランの内容についてだけではなく、それを生み出す過程そのものにもあったようです。
 なぜなら、緊急プラン作成に、野党の意見が反映されるよりも以前に、協議の席上に、組合の代表と企業代表とが参加していたからです。

 組合(代表)と企業(代表)とを、オランダでは、ソーシャル・パートナーと呼びます。つまり、雇用をめぐる、労働市場での、雇用者と被雇用者のことです。

 これは、冒頭に述べた「ポルダー・モデル」にも関係があります。
 オランダでは、1982年、長い経済低迷期を打開するために、政労使の間で「ワッセナーの合意」という、合意書が署名されました。それは、「失業対策の諸側面に関する中央諮問書」という正式名称の文書ですが、これにより、労働者は、企業側が、十分な賃上げの余裕を持っているにもかかわらず、賃上げ要求を低く抑えることで、インフレを抑制し、対外競争力が維持できることを優先したのです。その代わりに、企業側は、フルタイムとパートタイム就業の区別をなくすことを受け入れ、それによって、フルタイムと同じように、同一労働同一賃金、男女平等待遇の原則に基づくワークシェアリングが実現し、雇用機会の拡大と失業率の低下につながったという背景を持っています。

 この、普通、日本などでは非常に考えにくい雇用者と被雇用者の間の協調的な協働関係の基礎づくりをしてきたのは、1950年に設立されていた「社会経済評議会(SER)」という組織でした。SERは、以来、労使間の協議の場を提供してきたからです。

 つまり、SERは、ポルダーモデルの基礎としてなくてはならぬ団体だったのです。

 今回、経済回復プランを作成するにあたって、協議に加わっていたというのは、まさに、このSERで、野党が批判したのは、プランを立てるという政治政策設定の場に、野党よりも先に、SERが優先されていたことです。

 もっとも、今日、国会討議が始まるまえの昨日の新聞NRC(自由主義系)には、下記のように書かれています。
「当然、、野党は、明日、討議に際して、<ヤジの鍋釜騒動>を展開するだろう。また、それが、当然野党の役割でもある」と。

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 というようなわけで、今後しばらく、危機対策の経済回復プランに対しては、さまざまの議論が展開されることと予想されます。また、その議論を新聞やテレビが並行して追いかけることによって、徐々に世論が形成されていくと思われます。ポルダーモデルとは、そう言う、政策決定においても、その後においても、ずっと世の中に議論が継続していて、何らかの契機によって、進行、停滞、修正、逆行を小刻みに繰り返すシステムなのです。一見して効率は悪いように見える、しかし、そのおかげで、市民と政治家の極端な乖離を防ぎ、国に対する信頼感を維持し、市民が参加意識を感じられるシステムです。

 現に、この数日間、ハーグ市にある首相官邸で、協議が行われている間、ずっと、テレビでは、政治討論番組に、野党の党首らが招かれて、懸案の議論を同時進行で討論していました。また、首相のリーダーシップ、政権第2党である労働党党首のボス財務大臣(副首相)についても、危機対策における、首相との関係の取り方、発言の仕方などについて、大学の専門家など、識者が招かれ、さまざまに批判・助言が、公のメディアの上で続けられていました。

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 さて、1930年代以来の最大の経済危機を迎えている世界。1980年代に、政労使の協調「ポルダー・モデル」で危機を乗り越えたオランダは、ワークシェアリングへの転換という切り札はもう使えません。ただし、今も、この時の、労使協調をベースにした合意形成の記憶は新しく、それが、今でも、この国の、危機状況における「連帯意識」の基礎になっていることがはっきりと見て取れます。

 今回の危機を乗り越えるための方程式は、世界のどこを探しても見当たらない。また、お互いがお互いの動きに依存し合っているという意味では、今後の世界規模の経済の動きは、アメーバのように形を変えながら決まっていくのではないか、と思います。

 戦後間もなくの時期から、早、60年余りにわたって、強調的な多元主義・機会均等をベースとしたヨーロッパ連合のつながりと協力体制を生んできた欧州諸国ですが、金融危機を迎えて、各国の経済立て直し策のために、国ごとの「保護主義」に反動している傾向もごく若干ですが見え隠れし始めています。(自動車会社ルノーの工場閉鎖をめぐるフランスの政策など)多国間の平等な立場に基づく協調、開かれた共同に対する反動の動きです。こうした保護主義に対して当然批判があるとはいうものの、それでは、各国の自律的な体制と、ヨーロッパ全体の世界に向けての安定成長や権益との間の関係はどうなるのか。金融危機への対策は、このことを再考するための、「ヨーロッパ連合」にとっての大きな試練であるのかもしれません。

 そういう中で、果たして、ポルダーモデルに基づくオランダの選択は、成功するのか失敗するのか、当分の間、予断が許せません。

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 ただ、こういう場面をこの国にいて観察しながら、日本の状況に比べてみて、常に感じていることがいくつかあります。

 それは、危機の中にあって、①オランダ人が、左右どちらの意見を見ても、「連帯」による解決を求めようという前提だけは、共有の意識として持っていること、②野党からの批判はあったにせよ、ポルダーモデルが確立していることによって、労使間協調の形で、労働者の意見が反映される場があるということを、国民が確信し信頼していること、さらに③こういう「連帯」の意識や国の政策決定のプロセスへの「参加意識」をマスメディアが同時進行の議論を提示することで確実に一般市民の目に見える形で補強していることです。
 
 政策決定のプロセスが、国民の目にはっきりと見えること、また、そこに国民が影響を与えるパイプが残されていると感じられることは、社会に対する参加意識だけではなく、その政策の結果が見えてきたときに、帰結に対する責任意識を醸成すること、すなわち「連帯感」の強化に役立つものです。

 先週末、私は、もう一つのブログ「地球を渡る風に吹かれて」http://naokonet.blogspot.com/の中で、日本における「日本型ワークシェアリング」について、その決定過程をめぐる状況についてのコメントを書きました。

 施策が功を奏するか否か、また、その施策が「持続性」の高いものであるかは、その策定に対して参加意識を持っている人の数がどれだけいるか、世論がどれだけ政治家の議論に密着して作り上げられ、政治家の無責任を防止するものとして機能しているか、にかかっていると思います。これこそが、まさに民主主義の姿なのです。

 モンスターのごとき大恐慌の怒涛を、人間社会を襲う、一つの大きな病気とたとえるならば、オランダは、十分にコンディションの良い体を病気がおそって来た状態、日本は、コンディションが最悪の上に厄介な病気がさらに襲ってきた状態、という風に見えます。

 マイナス成長と急激に広がった格差のある日本を、再び活力のある社会へと変える重要な鍵の一つは、政治家の堕落と腐敗だけではなく、それを表から批判しきれない民度の低さ、とりわけ、エリートと呼ばれる人々が批判の言論を忌憚なく展開できない、その受け皿になるべきはずのマスメディアの脆弱さを、アメリカやヨーロッパ並みの確固としたものに立て直すことであると思います。もしも、そのマスメディアを言いように牛耳っているのが、政治家自身と官僚なのであれば、その近視眼的で個人の私利私欲に傾く卑劣と、それによって民主主義の基礎を自ら瓦解させようとしている態度とは、厳しく追及されるべきです。しかし、その追求を誰がするのでしょうか。マスメディアが、民主社会の第3の権力として機能していないことの問題は、ここにあります。

 もしかすると、今の日本は、本当に抜け道を持たない閉塞の中にあるのかもしれません。しかし、エリートの質と民度とを高めるために考えられる唯一の方法は、学校で家庭で、現実の社会で起こっていることを忌憚なく話し合う場を設けることにほかなりません。それは、誰かの意見が、他のものよりも優れているだろう、と識者を探し出すためにではなく、それぞれが、全く平等な立場で、「自分はどう思うか」を考える場を設けるためです。それが作り出せないのであれば、日本の未来はなきに等しいものと思います。

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 戦後日本の最大の失敗は、日本に住むさまざまの層と背景の人々を、彼らの生活条件と未来の幸福を決める政治に、みずから意欲的に参加させることに失敗したことであると思います。



2009年2月18日水曜日

1931年以来の財政赤字と失業率急上昇の予測

 昨日2月17日は、オランダ人にとって先行き不安を感じさせる暗いニュースが発表された日でした。
 オランダの経済は、昨年9月、国会開会日に行われた予算発表でも、非常に順調、ヨーロッパ域内でも優等生の統計データだったのですが、それが、わずか4カ月の間に、大転換を遂げてしまうことになったのです。
 昨秋のウォール街初の金融危機の直後に起こった銀行金融危機でも、オランダ政府はうまく立ち回り、国民も経済好調が続くことに信頼を寄せていました。しかし、経済指標はそれがどうも保障されない、真っ暗な見通しを示したのでした。

 昨日おこなわれたCPB (オランダ経済政策分析局)の発表によると、2010年の失業率は9%にまで増加、予算赤字は5.5%に及ぶとのことです。この予算赤字率は戦時期を除く平時における過去の統計からして、1931年並み、つまり、前世紀最大の世界大恐慌の直後の時期と同レベルだというのです。国民の大半が、経験もしたことのない最大級の不況が目前に迫っているということで、プライムタイムのニュースに不安を感じたオランダ人は少なくなかったと思います。

 戦後最大の不況だった1983年の失業者数は60万人でしたが、これは、近く67万5000人にまで増えると予想されており、CPBの所長は、財政危機からの回復は予想よりも長期化しそうで、2010年末までに80万人に達する可能性があることも否定できない、と言っています。

 これほどの数の失業率が最も直撃するのは、やはり、出稼ぎ労働者として流入してきた移民とその子や孫の世代でしょう。経済のひっ迫は、オランダ人と移民の対立を再燃させるのではないか、と心配されます。

 昨年の予算案の時点では、10%増を見込んでいた企業投資は、今後11-12%減となる見込み。予算赤字5.5%は、政権が示している最大2%ラインも、また、ヨーロッパ連合の協約による3%ラインもはるかに上回っており、わずか半年足らず前に意気揚々と明るい見通しの中で出された予算案は、緊縮のために抜本的な見直しが迫られています。

 2008年の第3四半期の統計によると、オランダの失業率は2.7%で、ヨーロッパ域内では最低でした。同じ時点で、スペインは11.8%、フランス7.7%、ドイツ7.2%、オランダに次ぐ優等生のデンマークですら3.5%だったのです。この当時、オランダの経済成長率は0%でしたが、予算赤字はまだ0.1%とわずかでした。

 短期間の間に、オランダの経済予測をこれほどに変えたのは、世界市場の商取引が激減していることが最大の原因であるとされています。なにしろ、天然ガスを除き、資源のないことでは日本と同じ悩みを抱えるオランダです。ロッテルダム港やスキポール空港を中心に、ヨーロッパの物資集散地として、商業の流通地としての活動に、この経済は多くを依存しています。世界中が金融危機に陥り、投資が減って商取引にブレーキがかかればかかるほど、オランダ経済は、そのあおりを強く受けるのです。

 ただ、こういう暗い見通しの中で、購買力だけは、今年、2.25%増となる見込みなのだそうです。石油価格が下がったことが理由のひとつです。

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 与野党の政治家らは、「失業率の急上昇」に何よりショックを受けています。国会は緊急討議を行い、政府は予算案の見直しに早速入ることと思われます。
 企業側と労働者の間で、失業対策を巡る議論がすでに始まっています。
 かつて「オランダ病」を、労使歩み寄りの政治、ポルダーモデルで乗り切り、ヨーロッパの中でも経済成長の優等生となったオランダ。しかし、今回は、少し事情が違います。国内市場だけの問題ではなく、オランダの経済を支える世界市場が激しく後退・停滞しているわけですから。
 不況の一時的な緩衝剤として、労働時間の短縮(フルタイムからパートタイムへ)が考慮される気配もありますが、抜本的にどのような方向に動いていくのか、今のところまだ予測が立ちません。

 組合運動など、社会主義派は、政府に対して「早く景気回復策のために投資せよ」と要求していますが、先の見えない世界経済の動向を前に、ボス財務相(副大臣)は、まだリスクは冒せないと慎重な態度を維持しています。

 この急激な経済悪化は果たしてオランダだけのことなのでしょうか。スペインやフランス、ドイツなど、すでに高い失業率を抱えていた国々は、これからどうなっていくのでしょうか、、、。優等生だったオランダが、1931年レベルに後退するということは、ヨーロッパ全域を見ても、世界経済全体を見ても、本当に巨大な不況期が目の前に迫っているのではないのか、と思えます。

 アメリカでは、昨日、このオランダでの暗いニュースが流れた後、成立した景気対策法に準じ、オバマ大統領が、ジャーナリストらの見守る中で笑顔で署名をし、350万人の新規雇用を実現すると発表しました。IMFによる世界不況回復の見通しも、いくらか楽観的なようです。これらの動きとその効果、それに対応してオランダの経済がどのように動いていくのか、しばらく、目が離せない感じです。
 


2009年2月1日日曜日

ローマ法王によるホロコースト否定の英国人司教破門撤回に対するオランダの反響

 ローマ法王べネディクトゥス16世は、1月24日、1988年にカトリック教会から破門されていた4人の司教の破門を撤回した旨を発表しました。その中の一人、英国人司教リチャード・ウィリアムソンが、スウェーデンのテレビで、第2次世界大戦中のナチスによるユダヤ人大虐殺を否定する発言をしていたため、欧州一円、ユダヤ人問題や人権問題をめぐって、破門を撤回したローマ法王を批判する声が強まっています。

 オランダは、戦時中、多くのユダヤ人が強制収容所に連行されたことで有名。今でも、ユダヤ人たちは、人権問題に積極的に声をあげますし、彼らの声が、この国の戦後の人権議論を率いてきた、といっても過言ではないと思います。同時に、それは、戦争中、10万人にも及ぶユダヤ人被害者を生んだオランダという国の恥の意識のもつながっており、ユダヤ人たちだけではなく、オランダ人の国民的態度として、「人権問題」は敏感に態度を明らかにするもの、という意識もあります。

 ローマ法王から破門を撤回されたリチャード・ウィリアムソンという司教は、
「私はガス室はなかったと信じている、、、20万人から30万人ほどのユダヤ人がナチスの強制収容所でなくなったとは思っているが、、、そのうちのだれ一人としてガス室でなくなったものはいない」
と発言しているのです。

 ホロコーストでは、およそ600万人のユダヤ人が殺害されたというのが定説です。最もよく知られたアウシュビッツの強制収容所だけでも、130万人のユダヤ人が、それも大半はガス室で殺害されているのです。そうした事実を証明するさまざまのデータは、戦後、生き延びたユダヤ人たちが、何年もの年月をかけ、調査し、集めてきています。

 しかも、この発言は、もともとドイツで収録されていた録画にあったもので、そういう発言をドイツで行っていたこと、また、それをスウェーデンのテレビが放映したことなどについても、さまざまの抗議が起こっています。

 オランダでは、29日、野党社会党(SP)と与党キリスト教連合(CU)が、フェルハーヘン外相に対して、ヴァチカン市国の大使を召還して、この、ウィリアムソン司教の破門撤回について事情説明を要求すべき、という立場を示しました。

 キリスト教連合とともに与党を構成している「キリスト教民主連盟(CDA)」と「労働党(PvdA)」は、これに対し、この1件で外務大臣が何らかの関与をすることには賛成していませんが、CDAは、オランダ司教会議が、ウィリアムソンを否定する態度をとっていることで十分とし、PvdAは、司教の破門撤回については驚きの態度をとるものの、教会内部の問題に対して、オランダが政府として関与すべき事態ではないとの態度をとっています。

 そんな中で30日、ネイメーヘンのラッドバウト大学のカトリック神学部に籍を置く倫理学者ジャン・ピエール・ウィルス教授が、カトリック教会から縁を切り、カトリック神学部の教授活動を停止すると書状で宣言するというニュースが伝わりました。

「わたしは、もうこれ以上、反近代的で、反多元主義的な教会と関係も持ち続けたくない」
と言う、この教授の言葉には、潔さと、人としての憤りとを感じます。

今後彼の決断が、オランダのカトリック教会内部でどんな波紋を呼ぶか、興味があるところです。

2009年1月21日水曜日

国際化時代の大学教育

 お正月が明けて以来、忙しくて寝る暇もないと言っていた息子が、やっと数日前顔を見せに来ました。建築科の修士2年生ですが、半年かかってやる設計制作の発表の日が迫っていたというわけです。計画性のない息子らしい、と夫とぶつぶつぼやいていました。
 いつも散らかっぱなしの学生アパートに共同研究チームの他の二人の学生がやってきて、2週間ほ夜も昼もない日々だったといいます。とにかく、その発表も終わり、まずまずの成績だったようで、「終わりよければすべてよし」のような気分に親の方もならされたわけではありますが、、、

 公共建造物をテーマにしたこのグループは、全員で30人ほどのグループで、およそ4割は外国からの留学生だったそうです。今回のテーマは、まず、全員で、モロッコのカサブランカに飛び、都心のスペースに博物館を建造するという想定で現地調査をすることから始まっています。一緒に旅をし、ディスカッションをし、と、なかなか連帯感のあるいいグループで、楽しかったと言っていました。

 意外に知られていませんが、オランダの大学では、工学部のように学生の規模が大きく留学生の数が多い学科は、学士課程では留学生だけを集めて、また、修士課程では、オランダの学生も一緒に授業は英語だけで行われています。まあ、中には、オランダ語なまりの教授もいると時々笑ってはいますが、そういう自分も、また、ほとんどの学生は、それなりに、母語の影響が多かれ少なかれある英語でしょう。でも、共通語として受け入れているということなのでしょう。当然、学生たちに課される課題の報告書も、プレゼンテーションなど口頭での発表も、全部英語です。どこの大学にも、オランダ語の研修のほか英語研修を受けられる施設を持っています。また、英語で論文を書く訓練もしてくれる短期コースなどもあります。

 息子のアパートに毎日毎夜とやってきて一緒に作業した二人の仲間は、オランダ人とタイ人。タイ人の学生は、国費留学生であるらしく、これまでに何箇所かの建築事務所でインターンもしたことのある優秀な学生だったようです。息子は、仲間の学生の性格が、研究の進め方にも現れていて面白がっていました。
 「オランダ人の学生たちは、どっちかというと仕事に波がある子が多い。気分が乗ってくるとどんどんやるが、乗らないとなかなか進まない、、、でも、タイ人のT君は、いつも淡々と仕事をするんだ。ものはあまりしゃべらないが、どこかでいつも同じテンポで安定して仕事をしている、、、」と。
「でもね、ほかのグループでは、オランダ人二人と中国人が組んでいて、中国人はあまりしゃべらないからだんだんに無視されていった感じだったよ。最後の発表でも一緒には並んでいたけどあまりしゃべらなかったな。しゃべらないからって考えていないわけじゃあないんだし、アジアの学生には、時々、発言のチャンスを仕向けてやらなくちゃいけないんだけどね、そうすれば、いいアイデアとか意見とか持っているんだよ。T君だって、ちょっとこちらから働きかけると、話をするし、アイデアを提供してくれるし、、、オランダ人にはそういうことがわからないんだな」
 どうやら、日本人の母親を持って育った息子は、アジア人というのが、黙っているからと言ってモノを考えていないわけではない、ということは分かってくれていたようです、、、、

 そういう息子に、
「でもね、留学するっていうのは、そういうことをまさに学ぶっていうことじゃあないのかな。中国人だって、タイ人だって、やっぱり、この国の人たちの中では、こういう風にやるのが共同の仕事なんだ、というのを学ぶ、そして、やっぱり、黙ってばかりいないで自分の方から口を切っていく努力も必要だと思うわよ」
なんて、物知り顔のことを言ってみたりしたのでした。

 30人のグループの中には、イタリア、ルーマニア、台湾、スウェーデン、ポーランドなどなど、いろいろな国からの学生がいます。何かの折に集まれば、イタリア人の学生がスパゲッティを御馳走してくれたり、、、そうそう、このイタリア人の学生は、アメリカ製のセサミストリートに出てくるキャラクターに似ていてあだ名が付いているのだとか、、、言葉の違ういろんな国の子たちとはいえ、子供時代に見た番組が同じだったというのも面白いです。子どもの時からアメリカ文化にまみれて育った、そういう時代の子供たちなのだな、と思います。

―――

 医学部3年生の娘の方も、国際化時代を生きている、という感じがします。
 2年生の時には、彼女の大学が交換制度を作っているスウェーデンとドイツの大学の学生が10人余り半年間授業を一緒に受けました。それぞれの大学と、単位互換制度を作っていて、一定期間、同じ内容の授業を、相手方の大学で受けられるような仕組みを作っているのです。この機関は、これらわずかの留学生のために、授業もゼミも実習も試験もみな英語で行われるのだそうです。これなどまさに、国際化の意味を考えさせるものです。授業そのものが目的というよりも、国際交流の体験を学生のうちにしておくことの意味があるのでしょう。

 なんでも、本年度から、スウェーデンの大学との互換制度は中止になったのだとか、、、理由は、単位互換するのに授業の程度が違いすぎるということだったのだそうで。「ほんとうに、うちの大学、古いから有名だとふんぞり返っているのよ、偉そうなことばかり言って、、、目を覚ませって言ってやらなくちゃ」とかなんとか、学生らしい不服を言っているのは娘たちです。
 互換制度は、お互いの大学の質をフィードバックする役にも立っているということでしょう。

 オランダには、医学部のある大学が、8か所くらいありますが、それぞれ、別のカリキュラムを作り、特徴を出して競い合っています。1年生から病院実習をやる大学もあれば、娘が言っている大学のように、4年生になってはじめて病院実習をやる大学もあります。理論と実践を同時進行でやるか、理論を確実に積んだ上で実践に入るか、という考え方の違いであろう、と思います。
 いずれにしても、この病院実習の期間になると、学生たちは、国内の病院だけではなく、外国の病院にも積極的に出かけていきます。かつてオランダの植民地だった南アメリカのスリナムやアフリカの国々は、外国に関心のある学生に人気のようです。もちろん、ヨーロッパ国内の病院に掛け合って、実習をやらせてもらえるように交渉してくる学生もいます。
 当然、交渉は大学の学生課や国際交流課に相談するなり、学生が自分でやらなくてはいけません。

 ヨーロッパ国内の大学を通じて実習をすれば、単位も認められるし、エラスムス奨学金という、ヨーロッパ域内の留学振興のために設けられた奨学金を受けることもできます。この奨学金制度は、ヨーロッパの学生たちによく利用されているもので、半年-1年程度の短期留学に使える便利なものです。自分の専門として入る学科で、特徴のある研究をしている大学に短期に留学してみる、というのに便利ですし、学科ごとに、この奨学金が使えるいろいろな大学間交流プログラムを作っているようです。オランダの場合、自国の大学に行く時にもらえる奨学金は、そのまま、欧州連合内の国の大学でも使えるので、隣国への留学が大変しやすい仕組みになっています。
 
 そのほかに、専門学科ごとに、学生たちが運営している国際交流振興会のようなものもあり、外国の大学の学科と提携して、研修や留学を希望している学生たちの便宜を図っています。

 そういうわけで、娘は、今年の夏、友人と二人で、医学部の国際交流振興会の事業としてやっているマラウィの病院研修に出かけることになっています。エイズやマラリア、その他の熱帯病が多いマラウィの病院で、他国たらの学生に交じって、医療チームの手伝いをしながら、病院実習を6週間やるのだそうです。今年の9月に始まる来年度、理論の履修が終わり1年半の病院実習が始まると、パリの大学病院に行きたいと、今、方々から情報を集めながら画策中です。医療単語を全部フランス語で覚え直さなければならない、とぶつぶつ言っていますが、パリ好きの彼女は、そっちの方が目的で何とかしたいと思っているみたいです。うまくいけばいいが、と思っています。