「教育先進国リポートDVD オランダ入門編」発売

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2009年12月24日木曜日

ヨーロッパの中のオランダ:最大多数の最大幸福に高い税は欠かせない?? (その1)

 高い税金は高い文明を実現するために必要なもの、そして、それを実現しているのはスカンジナビアの国々と、オランダ、そういう興味深い結果を示すレポートが今月、オランダのシンクタンク『経済政策分析局〈CPB〉』から出されている。(Hoe beschaafd is Nederland? Een fiscale kosten-batenanalyse, Sijbren Cnossen, CPB2009)

 この調査研究のきっかけは、次のような問いにある。

  • 高い税金圧力は、文明を押し上げるために必要なものなのか、つまり、ベンサムに代表される功利主義者の言うところの、<最大多数の最大幸福>にとって必要なものなのか?
  • 高い税金圧力のある国の人々の幸福は、低い税金圧力の国よりも大きいのか?
  • 人々の幸福のレベルは経済的な繁栄を犠牲にするのではないのか?
  • 比較的高い福祉のレベルと比較的高い繁栄のレベルとを組み合わせることは、どの程度持続性のあるものなのか?
 実に時代にかなった、しかも、おそらく今、多くの日本人にとっても興味の尽きない、わくわくする問いかけではある。

 この問いに答えを求めるために、この調査では、調査者の国であるオランダを中心に据えながら、ヨーロッパの国々を、4つの社会経済モデルに分類している。この分類もまた、ヨーロッパの国々を理解する枠組みとしてはなかなかに面白い。分類の基準は、

  1. ひとりで生活することができない人の面倒をみるのは誰か?
  2. 雇用慣行と企業の制度は?
  3. 市場での所得は税によってどれほど調整されているか? 

    4つのモデルとは以下のものだ。
  1. スカンジナヴィア・モデル(政府主導型モデル):スウェーデン、ノルウェイ、フィンランド、デンマーク
    平等の概念を強調し、集団的な決定様式とユニバーサルな社会的施設・設備に特徴づけられる。
  2. 大陸・モデル(コーポラティズムあるいはライン諸国モデル):ドイツ、フランス、オーストリア、ベルギー
    業種集団を基礎として、それぞれ独自が供給する施設・設備によって組織される。達成された生活水準の維持を目指す
  3. 地中海・モデル(家族志向型モデル):イタリア、スペイン、ギリシャ、ポルトガル
    いまだに、古い、農耕社会的、温情主義的な、庇護と隷属の文化の後をたどることができ、家族以外には、ほとんど明確な社会的なセーフティネットがない。
  4. アングロサクソン・モデル(市場モデル):イギリス、アイルランド
    市場依存、集団的な施設・設備には限界があり、主として、貧困撲滅に力を入れる

 この分類を見ただけでも、ああ、なるほど、とヨーロッパの地域的な特徴が顕著に見えてくる。

 4つのグループの税金圧力、すなわち、国民総所得に占める税金の割合は、スカンジナヴィアモデルの平均が46%、大陸モデルの平均が42%、地中海モデルの平均が37%、アングロサクソンモデルの平均が34%で、オランダは、39%だった。

 調査結果のサマリーとしてまとめられた点は、以下の通りだ。

不平等について
 まず、3年以上所得が貧困ラインを割る継続する頑迷な貧困は、オランダは全人口中わずかに1.3%で、4つのモデルで一番低かったスカンジナヴィアモデルの平均2.3%を大きく下回り最低。(最も高かったのはアングロサクソンモデルの6.8%)、65歳以上の高齢者の中に占める割合も1,3%で最低だった(スカンジナビアモデル7.2%、大陸モデル7.0%、地中海モデル11.7%、アングロサクソンモデル15.1%)。ただし、子どもの貧困の割合が9%とスカンジナビアの4%に比べるとやや高い。これは、主として、片親世帯で、しかも親が働いていないケースが多いことによる(地中海モデル14%、アングロサクソンモデル12%)。

 不平等への意識を測る指標は、国内だけではなく、国外の貧困に対する態度からも得られる。オランダは、昔から、開発援助協力への拠出額が高いことで知られる。国連が目標額として定めている、国民一人当たり国内総生産の0.7%を達成している数少ない国だ。常に、0.8%を超えている。この調査でも、開発コミット目っと院でクスで、オランダは、10点満点の6.7点と、最高点を示した。これに続く高い得点は、フィンランドを除く北欧3国(スウェーデン、ノルウェイ、デンマーク)にみられた。

 不平等を測るもう一つの指標は、女性の解放度だが、グローバル・ジェンダー・インデックスによると、オランダは、ジェンダー間の平等に関しては、11位で、スカンジナビアの国々に比べるとやや劣る。しかしながら、他の3つのモデルの平均に比べるといずれよりも解放度は高い。これは、オランダの場合、ワークシェアリングの浸透によって、労働市場にパートタイムとして就労している女性の数は比較的多いが、男性と肩を並べて、管理職等の指導的な地位に就く女性の割合が比較的少ないことに起因している。

健康管理と教育
 オランダの健康管理ケアはよく組織されており、しかもそれほど高額ではない。収入の約1割が健康管理のために支払われる。ヨーロッパ全体として、平均寿命に大きな差はないが、オランダでは、出生時における子供の死亡率がかなり高いことが目立つ。

 教育については、オランダは、スカンジナビアの国々次いで、高い成績を示している。特に、PISA学力調査では、ヨーロッパでは、フィンランドに次いで、高い水準を達成した。
 しかし、就学前保育や子どもに対するケアに対する公的資金の支出は、スカンジナビアの国々に比べると劣っている。

(この項続く)

2009年12月23日水曜日

14才のセイラー:親権と子どもの自立

 今年の夏以来、オランダのニュースに時々登場しては社会に議論を醸し出しているラウラ・デッカー。両親の船の上で生まれ、生来のセイラー(ウー)マンとして育った14才のオランダ人少女だ。
 昨夏、13歳だったラウラは、単独で世界一周航海をすると決め、本人も熟練した航海経験のある父親は、彼女に同意して、学校に長期欠席の申し出を入れた。もちろん、就学義務の履行に厳しい学校はこの依頼を受け入れられなかった。いずれにせよ、ラウラの野望は、史上初の最年少世界一周航行を果たすことだ。訓練は十分、スポンサー初め、支援グループの準備も怠りなく、というところであったらしい。

 しかし、オランダの裁判所は、未成年のラウラが単独で公開することに対して、不許可の結論を出した。理由は、成長期にあるラウラにとって、精神的にも肉体的にも極限の状況に一人で立ち向かわなくてはならない可能性のある単独航海は、将来、取り返しのつかない危害をもたらす可能性がある、というものだ。その結果、ラウラの行動は、以後、ユトレヒトの青少年保護組織の管理下に置かれることになった。

 ラウラの単独航海に、宣伝効果を期待して申し出たスポンサーは少なくない。そんな中で出されたオランダの司法権の決定は、基本的に、未成年者に対する公的保護の立場からのものだった。宣伝収入をもくろんでいたスポンサーには落胆の結果であったことだろう。

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 子どもの教育(成長)の第1義的責任は親権者にある。しかし、その親権者が、子どもの健全な発育を保護しない、あるいはできない状況にある場合には、公的機関が子どもの発達の権利を守らなくてはならない。この原則が、ラウラをめぐる一連の議論に流れる考え方であった。そして、この原則自身には何の誤りもない。
 しかし、親の判断をどこまで認めるか、それに対して、公的機関が、いつ踏み込むべきか、その境界線を引くことは難しい。いずれの判断も、最終的には、現行の法に照らすしかないわけであるが、それでも、法の適用基準は、司法官や関係の専門家に任されることで、今回のような例では、議論が噴出しかねない。議論の行方によっては、将来、法が修正される可能性だってある。

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 スポンサーや野次馬の大きな期待をよそに、16歳までは、単独航海は認められないとの結論を受けたラウラと父親。これで事態は一件落着だったはずが、先週になって、今度は、ラウラが行方不明となり、父親が警察に届け出て、数日後、カリブ海のオランダ領シント・マーティンで見つかるというニュースが流れた。ラウラがどうやってその島まで来ていたのかについては、詳しいことは報道されていない。しかし、8月以来、青少年保護機関の監督下にあったはずのラウラが行方不明になったことで、ラウラの両親よりも、公的な機関の方が、いくらか慌てふためいている感じはある。ラウラの保護責任を持っていたはずが、保護できていなかったからだ。結局、担当機関であるユトレヒトの青少年保護ビューローは、来年の7月まで、ラウラを、現在同居している父親から引き離し、しかるべき保護機関のもとで監督する、という結論をだした。

 もちろん、この結果にはまたもや議論がおこり始めている。ラウラはもとより、父親も納得しない。昨日の新聞には、今回の結論にラウラは「打ちのめされている」と告げる手紙が、ラウラの祖父母から送られてきた、とも報道されている。

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 世の中には、中毒患者、犯罪人、児童虐待など、子どもの健全な成長を見守ることができない親が実際に存在する。そういう親に代わって、子どもの発育を保護するのは、国や社会の役割であることには間違いはない。だが、今回の場合、父親は、ラウラの航海技術を育て、見守り、そして、本人の野心を果たしてやろうと支援したまでだ。それが、子どもの成長の障害になるという判断をつけるのは難しい。
 確かに、子どもの就学を義務付けられているのは父親だ。世界航海のために、学校に長期欠席届けを出した父親には、この義務に対する不履行という問題がある。これとても、果たして、学校が子どもの成長に最善の場であるのか、と議論する親がいないわけではなく、ここでも、親権と社会の保護義務の間には軋みがある。



 オランダの教育や子育てを、外から眺めている私の目には、さらに、もう一つ、気になることがある。
 
 現在のオランダ社会の子育ては、とにかく、子どもたちを一日も早く『自立』させることにある。それは、親の意識としても、社会の制度としてもそうだ。ラウラの場合、その意味では、オランダ社会の子育ての、突出した典型例であったとも言えなくもない。本人も、親も、ともに、ラウラの自立に向けて今日まで来たのだろうし、それをとやかく言う人も、おそらくいなかったのではないか。それが、突然にして、『成長に対する身体的、精神的な危害』などと理由づけられ、これまで、知らん顔だった公的な組織が、自身ではもうすっかり精神的には自立を遂げたと思っているラウラに、『保護』を申し出てくる、というのもどんなものか。ラウラにも父親にも、何か、偽善的で取ってつけた温情に見えるのではないか。そもそも、自立などというものは、18歳という年齢がくれば、みんな同様に果たされるというものなのか、、

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 ラウラをめぐる一連の議論は、親権と、未成年者に対する社会(国家)の責任の関係、さらには、子どもの自立とそれを見守る社会の関係、など、日本においても議論されるべきいろいろなものを問いかけているように思う。

 (公立)学校という場が、いじめや校内暴力という、それこそ、子どもの発育にとって危害にあふれた場になってしまった日本。また、子どもに『自立』することよりも、ひたすら社会への同調を強い、子どもや親たちの繰り言、主張を抑え込んできた日本という社会。そんな日本に、『親権とは何か』『自立とは何か』という議論は、今まで、公に真剣に論じられたことがあっただろうか。

 日本だったら、ラウラの事件のような問題が起きたとしたら、いったい、どんな議論になっていたことだろう。ふと、イラクでの日本人人質事件とその後の議論が脳裏に浮かぶ。
 

2009年12月8日火曜日

金融危機後も低い失業率を保つオランダ

 今月5・6日(週末版)のNRCハンデルズブラッド紙の経済面では、昨年の金融危機以後のヨーロッパの労働市場をの実情を伝えるシリーズ記事の第一回目として、オランダの失業の実情が伝えられた。

 その冒頭にくっきりと描かれたグラフには、世界の先進国の失業率〈今年第3四半期分〉が比較されている。それによると、ベルギー7.9%、デンマーク6,2%、ドイツ7.6%、フランス9.8%、アイルランド12.6%、日本5.5%、ポーランド8.1%、ポルトガル9.9%、スペイン18.7%、イギリス7.7%、アメリカ合衆国9.6%、スウェーデン8.6%、そして、欧州連合平均は7.9%だ。オランダは3.6%で、世界の先進国のどこに比べても、目立って低い。(このグラフは、OECDの統計で、そのため、オランダの統計局CBSが独自の『失業』の定義によって出している5%に比べると低くなっている。) 
 2008年秋の世界同時金融危機発生直前の統計でも、オランダの失業率は、ヨーロッパでもっとも低かった。確か、当時、オランダと最低失業率を争っていたのはデンマークだったが、その後、オランダがほぼ同じレベルの失業率を保ってきたのに対し、デンマークでは倍増しているのが興味深い。

 オランダの失業を抑制している理由は、このシリーズで以前報告したように、パートタイム失業制度がいち早く取り入れられ、大変、功を奏したことがあげられる。また、労働機会の現象をいち早く見てとった若年者が、大学や職業訓練校に長くとどまっていること、また、高等教育機関への入学者が増加していることなど、就職活動を遅らせ、教育を選んだために、失業率が増大していない、という面もある。前者は、オランダ特有の政労使の話し合いによる政策上の効果であり、後者は、授業料が比較的安く、また、高校卒業資格を持つものすべてに開かれた教育機会という制度上の利点であるともいえよう。

 しかし、オランダの失業率の低さには、まだ、もっと根本的な理由があるというのが、この記事の趣旨でもあった。それは、オランダのパートタイム就業文化の浸透である。すなわち、他のほとんどの諸国では、パートタイムによる就業が、フルタイム就業の職種に比べて、いわばランク付けの低い、言い換えれば、専門的な職種には向けられていないのに対し、オランダでは、専門職であれ、パートタイムの就業で、しかも、フルタイムと同じ条件の正規就業として取り扱われることが、今や、当たり前になっているということだ。
 実際、医者でも、校長でも、研究者でも、オランダでは、専門職者が、週に4日しか働いていない、という例を探すのに、まったく苦労することはない。まさに、一つの仕事を2人で分けあう、つまり、フルタイムならば一人分の仕事にしかならないものを、時間で分け合うことによって2人に仕事の機会を与えることになる、という例が掃いて捨てるほとある。

 「いやあ、でも、それでは、パートタイムでしか働けない人は収入が足りないのでは?」と思われるかもしれない。しかし、そうでもなくて、とりわけ、小さい子どものいる夫婦などは、むしろ、自宅にいて育児にかかわれる時間を望んでいる場合が多く、夫婦でお互いにパートタイムで働けることは、家庭生活にかける時間を生み出す歓迎すべき条件なのだ。
 そのうえ、パートタイム就業者が、時間を増減することを解雇の条件にしてはならない、という規則もあるから、労働者が、もっと長い時間働きたいとか、少し短くしたいというような場合、雇用者は、できるだけ柔軟にそれに応じなくてはならない。
 だから、労働者には子どもが大きくなって時間が増えるなど、労働時間を延長したい場合には、そうする可能性が比較的容易に用意されている。

 もっとも、オランダの失業率の低さの背景には、オランダの経済は、金融危機で最も大きな打撃を受けたといわれる製造業への依存度が低く、フォワーディング業に代表されるサービス部門の産業比率が大きいことも理由としてあげられる。また、社会保障制度が、北欧並みに整っているといわれたオランダは、今でも、景気変動の影響を受けにくい、医療、介護、教育など、公共政策部門でのサービス職を多く労働機会として持っていることも理由に挙げられている。